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シリーズ 『共和制革命を狙う人々』 第3回 「道州制と共和制革命」

投稿日:2009,07,06

シリーズ『共和制革命を狙う人々―大統領制、道州制を推進する人々の陰謀と偽善のカラクリ』 第3回 

 大統領制ほど、一見危険なものではないが、共和制革命のための隠れた一手段となっているのが「道州制」の主張である。

政治改革の文脈の中で、道州制こそ、日本を再活性化する切り札であるなどという誤った宣伝が度々繰り返されている。

大阪府の橋本知事なども、地方主権などという怪しげな言葉は流石に使わないが、道州制には賛成であると聞いている。


道州制、もしくは連邦制は、地方自治を活性化する手段だと言われているが、今、主流となって主張されている道州制論は、統一国家日本の露骨な解体論である。

道や州によって、法律体系まで全く変えてしまえという主張であり、経済効率、行政効率から考えても、日本国を著しく非効率的な分断国家に陥れようという、誠に愚かな政策である。
政策効率だけを考えるならば、むしろ、中央集権をさらに強化したほうが遥かに日本国中、均一のサービスをより安い行政コストで行えるのは非を見るよりも明らかである。


道州制は、表面上の主張に反して、実は国家レベルでみた場合、非常な行政効率の悪化をもたらす愚策でしかない。

確かに、地方色の地方文化を重んじる行政を行いという欲求は存在するであろう。
それならば、日本国の均質な行政体系のもとでかつての江戸時代に習い、300自治体を作ればよいのである。
現在の、衆議院の小選挙区がちょうど300あるから、それぞれの小選挙区が1つの自治体を作り、行政単位となれば、効率を保ちながら、ほぼ同一の人口規模の自治体が個性ある街づくりを行うことができるだろう。


一体、東京と大阪が新幹線で2時間半で結ばれる現代において、あるいは東京と名古屋がリニアモーターカーで一時間以内で結ばれる近未来において、日本国を法体系的に分断し、一国の経済効率と行政効率を悪化させようという試みは、一体、どこから生まれてくるのであろうか?

道州制は、行政改革案としては全くナンセンスなのである。
広域行政をやりたければ、自治体が連合してこれを行えばよい。
更に、広域な行政を行いたければ、それはもはや国家政府の仕事である。


行政効率的には全くナンセンスとしか言いようのない道州制案も、これが隠れた「共和制革命」への謀略の一環としてみれば、誠に巧みな企てということができる。

道州制によって、成立する道や州は昨日のブログで述べたように、極めて地方主権的な色彩の濃いものである。
つまり、道や州は事実上の独立国家となり、これらの独立国家の形式的な連邦としてしか日本国は存在しえないという構造になる。

それぞれの道や州は、極めて主権独立国家に類似したものとなり、これらの疑似国家は、すなわち共和制国家としてしか成立しようがない。
とすれば、道州制が目指すのは、疑似共和制国家による連邦体制に、日本を解体してしまうという事である。

結論からいえば、道州制論は、隠れた「共和制革命論」なのである、そして日本解体論でもある

道州制論にしろ、大統領制論にしろ、問題の本質は、それが隠れた「共和制革命論」という恐ろしい本質である



美しい政治改革の仮面のもとに、日本の文化を根本的に否定する人々の醜い謀略の素顔を見抜かなければならない。

共産党のように、正面から天皇制否定、皇室否定、共産主義による共和制革命を訴える人々に対しては常識ある日本人はこれを警戒し、拒否することはできる。
しかし、大統領制論や、道州制論は、一言も表面においては天皇の否定や共和制革命の推進を訴えてはいない。

しかし、その本質を詳しく考えるならば、以上のように論証してきたように、これらの美名に隠れた改革論の本質は、実は共和制革命論なのである。
天皇を国民の統一の象徴として仰ぐという日本国の伝統そのものを根本的に覆そうとする反日的な人々の策謀が、大統領制論や道州制論という形で、現れてきているのである。

これは何も幸福実現党のことについて言っているのではない。
あらゆる大統領制論や、道州制論の根底には、このような危険な悪意が蠢いている。


善意からつまり、日本国を愛するが故に、政治改革を望み、政治改革を望むが故に、大統領制や道州制に共鳴する人々の多いことであろう。
この人たちは、単にこの謀略と策動にひっかった被害者であり、「騙される日本人 」の典型といってよいであろう。
仕掛けに乗せられたこれらの人々に悪意はなく、これらの人々を悪しざまに批難したいとは私は思わない。

むしろ、これらの人々にその悪しき本質について、覚醒してほしいと思い、このようなブログを書いた次第である。

しかし、これらの人々の考えを改めないならば、ある時点から被害者が加害者に変質していくことになる。
統一教会やオウム真理教のような、カルトに洗脳されて信者になったものは、初めは被害者には違いないが、彼らが能動的にカルトの積極的な公布、宣伝に従事するようになれば、その時点から彼らは既に加害者になっているのである。

ごく一部の、悪意を持った仕掛け人を除けば、大部分の大統領制論者や道州制論者は今のところ被害者であると私は感じている。

一刻も早く、事の本質に気が付き、目覚めてほしい。


※ 次回は、シリーズ 『共和制革命を狙う人々』 第4回 「天皇と国民を遠ざける連邦制論」 に続く。