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竹田恒泰先生と22日発売『月刊日本10月号』誌上で対談:「脱原発なくして対米自立なし 核拡散防止体制から離脱せよ」

投稿日:2011,09,20

※ 藤井厳喜『日本人が知らないアメリカの本音 』(PHP研究所・1470円、8月6日発売)、『超大恐慌の時代 』(日本文芸社・1680円、6月24日発売)、好評発売中です。
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 先日、保守派の中で勇気ある脱原発論を展開されている竹田恒泰先生と、『月刊 日本 2011年 10月号 [雑誌] 』誌上での対談が実現しました。

真に国を愛するものの立場からの脱原発論です。

私は、日本経済の安定的発展の為にも、また、将来における日本の核武装実現の為にも、脱原発が必要であると論じています。
ユニークな、そして重要な対談であると思いますので、是非、9月22日に発売されます『月刊 日本 2011年 10月号 [雑誌] 』をご覧ください。

今回は、その紹介の序論を紹介するような映像を公開いたします。

【竹田恒泰&藤井厳喜】「原発はなぜ日本にふさわしくないのか」を語る
月刊日本10月号・特別対談「脱原発なくして対米自立なし 核拡散防止体制から離脱せよ」 9月22日発売のお知らせ

作家・慶応義塾大学講師 竹田恒泰/国際政治学者 藤井厳喜
YouTube : http://www.youtube.com/watch?v=I4r9c-gPcu8 
ニコニコ動画 : http://www.nicovideo.jp/watch/sm15659791

 詳しくは、『月刊日本』HP http://www.gekkan-nippon.com/ 、 『月刊 日本 2011年 10月号 [雑誌] 』 、そして竹田先生のこの事に関するご著書『原発はなぜ日本にふさわしくないのか 』 をご覧ください。

★ 竹田恒泰先生・公式サイト http://www.takenoma.com/
★ 竹田恒泰Twitter  http://twitter.com/takenoma


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 また、核の問題、核拡散防止条約などについては、第3弾・藤井厳喜アカデミーの前講、 更に詳しく学ばれたい方は、『日本人が知らないアメリカの本音 』の第5章、P242からP256を参考にしてください。


YouTube : http://youtu.be/fEfFea8my78
 ニコニコ動画: http://www.nicovideo.jp/watch/sm15637027
 







↑ 藤井厳喜、最新作です!8月6日発売開始のAmericaウォッチング本です!! 



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 ■ 再生リスト【第1弾・藤井厳喜アカデミー国民の為の政治学講座・全篇
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 2010年2月1日開校のガイダンスから全12回講義、補講までの全講座をまとめました。

 ■ 再生リスト2 【近現代世界の国際秩序の変遷:新しい世界史
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  こちらは、2010年1月20日の藤井厳喜・講演会で「近現代世界の国際秩序の変遷」について語ったものを、改めてリストにまとめてみました。
 この日、私が伝えたかった事は、歴史的な時系列を振り返り、日本が大局的に言って、国際関係のどのようなポジションにいるかという事です。
  米ソ冷戦後の世界にの権力構造がどのようなものになるか、という点を大胆な仮説も含めて、語らせてもらいました。
ここで取り上げる動画は限られた時間の講演の中の一部の内容ですが、大学で私の『国際関係論』や『新しい世界史』の授業を受講される方のご参考にもなればと思い、取り上げます。

 ■ 再生リスト3 【第2弾・藤井厳喜アカデミー 経済篇(随時更新)
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書評 『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』竹田恒泰・著 : よくぞ書いてくれました!原発推進派にこそ読んでほしい快著

投稿日:2011,06,18

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 ブログの方、少し御無沙汰しております。
すっかり季節は梅雨になりましたね。
今、あじさいの花が大変、綺麗です。

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 石壁に 紫陽花と薔薇 咲きにけり     厳喜  

散歩の途中に、青紫色の美しい紫陽花の花に目がとまりました。
ふと、上を見上げると、真っ赤な薔薇が、一輪、開いていました。
何とも見事な色彩の取り合わせでした。


 さて、今回は、2日前に私が読んで大変感動した本の書評を載せさせて頂きたいと思います。

書評 『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』竹田恒泰・著(小学館)



「保守派はイコール原発推進派でなければならない」という迷妄を打ち破った名著です。
原子力発電について考える全ての人々に、特に日本の伝統を重んじる人々に読んで欲しい本です。
著者の竹田恒泰さんは、既に広く知られているように、明治天皇の玄孫にあたる憲法学者です。
この本で始めて知ったのですが、竹田さんは学生時代から反原発の市民運動に参加されてきたのだそうです。
本で取り上げられている反原発の理由は、皆、科学的であり常識的であり、納得のゆくものばかりです。

 この本のユニークさは、原子力発電という危険で未完成な技術が、日本という国のありよう、日本の国ぶりにいかにそぐわないか、という事を、著者が強調されていることです。

「原発には愛がない」という序文の言葉が、ズバリこの本のテーマを言い表しています。

私はおそらくこの本の出版を最も喜んでいる人間の1人です。それは、私自身が「脱原発」を唱えているからです。
私は、所謂「保守」の人間と見られていますが、(保守の定義が何であるかは人によって異なるでしょうが…)
3・11以降、明確に「脱原発」の言論を活発に展開してきました。

この為に、多くの心ないありとあらゆる中傷や、非理性的な批判を受けてきました。
これらの批判の寄って立つところは、大体において「保守は原発推進でなければならない」という思い込みです。

日本列島を守り、日本の伝統を守る立場からすれば、反原発ないし脱原発は当然の主張です。
多くの所謂「保守」の人々が、深い考えもなしに、未だに原発推進を唱えているのは、日本国を滅ぼす愚論中の愚論と思えてなりません。

 この本は、特に原発推進が国益にかなうと勘違いしている人達にこそ、読んでほしい本です。

我田引水になりますが、私がブログで公開している脱原発論と合わせて読んで頂けると一層、説得力がある議論になると思います。
私は主に、安全性の点は勿論、日本のエネルギー自立と核武装実現という戦略的な視点から「脱原発」を唱えています。

日本の文化・文明の在り方と、原子力発電という技術が相いれないものである事を、論証してくださった竹田恒泰さんに心から感謝します。
また、この時期に、批難の嵐を覚悟で、この書を公にされた著者の勇気を称賛したいと思います。



《お知らせ:藤井厳喜・新刊 6月24日、いよいよ発売 》

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超大恐慌の時代 』 藤井厳喜・著 (日本文芸社)

 著者もビックリの凄いタイトルですw(><) (表紙もインパクト…)
一時、候補になっていたタイトルに『世界大破産』というのもありました。(←これを見た時、流石にふきだしましたwww)

 世界経済を冷静に観察すると、日米欧中、みな揃って、景気が下降していることが分かります。
特に日本においては、日本銀行と民主党政権がデタラメな経済政策を実行しているので、このままでは二番底に陥ることは確実です。
3・11の東日本大震災と、福島原発事故は、事態を更に悪化させてしまいました。

 リアルに世界経済の現状を分析した本ですが、勿論、日本が最後のババを引かない為にどうしたらよいのかの対応策についても論じています。

分かりやすく、図表もたくさん入れてありますので、経済が苦手という方も是非、手にとって、読んでみて下さい。
2011年に入ってからの中東騒乱も含む、最新情勢までカバーしてあります。


↑ 6月24日・いよいよ新刊発売決定!!


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↑↑ 今、注目の電子書籍の実情、出版業界・コンテンツ産業の未来を考察できる最も分かりやすい参考書だと思います。実はこの本の中で、私の事も、本ブログの話も出てきますw お楽しみに…。




『撃論!富国強兵号』掲載論文―新しい“リアリティー”の時代へ:藤井厳喜の核武装論

投稿日:2011,05,23

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 「撃論ムック」がリニューアルされ、最新号 撃論 富国強兵号 vol.1「いまだ放射能で滅んだ国は無し、原発よりも危険な中国に備えよ!」 (OAK MOOK 377)  が、4月28日に発売されました。


 その号内に、私は、この「日本核武装推進論」を寄稿しました。

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 私は、「脱原発」論者ですが、その上で、核武装は必要であると考えています。
本論文は、3月11日以前に書いたものですが、全く変更の必要はないと考えています。

 この「日本核武装」に関する拙論を、震災以降の私の一連のブログ公開論文と合わせ完全公開し、幅広い方々に多く読んで頂きたいという願いに対し、今回、特別に、論文を寄稿した出版社(オークラ出版様)の快諾をいただく事がかないました。
版元のオークラ出版社、並びに編集部の御理解、御厚意に、改めて感謝申し上げます。

 脱原発と核武装推進は一見、矛盾すると考える方も多いでしょうが、そういった方々にこそ、是非、他の諸論文と合わせてこの論文を読んで頂きたいと思っています。

 様々な御意見が寄せられる事を期待しております。

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新しい“リアリティー”の時代へ  ― 21 世紀、日本の選択

「震災日本だからこそ考える改憲と核」
                             藤井 厳喜 

チャイナの膨張と核拡散はアメリカの一国優位を崩壊させ、時代は混迷の世紀へと向かっていく。
日本は国内的にも対外的にも困難の時代へと立ち向かってゆかねばならない。

■ もはや核武装はタブーではない 

 2011年2月15日付・産経新聞は、同社が行なった政治・安保世論調査の結果を公表した。
この調査によれば「政府や国会が核問題に関する議論をするのは賛成か?」との問いに、何と 86.7パーセントが賛成と答えている。
また、「北東アジアの核兵器の現状をどう感じているか?」との問いに対しては「不安を感じ る」と答えたものが84.1パーセントもいる。

又、「非核三原則の見直しを肯定する」という者が39.0パーセントおり、「米国の核の傘を信頼できない」と答えたものも32.6パーセントに上った。

つまり、非核三原則見直し派は約4割おり、自主核武装への道に連なるアメリカの核の傘を信頼できないとする人が約3人に1人いたわけである。


 北朝鮮の核兵器保有宣言等を受けて、日本においても、核抑止力に関する議論をタブー視せず、堂々と国会で核問題を論議すべきだという意見が圧倒的多数を占めるようになった。
ようやく議論の入り口に辿りついた、という感じである。

 日本国民は、いかに自らの手で自らの安全を守るかの議論を、勇気を持って始めようとしている。
やっと辿りついたこの議論の入り口から後戻りする事はもう許されない。
現実を直視し、我々自身の安全を守る手段を、主体的に決断してゆかなければならない。

こんな当たり前の事を今更のように強調するのも気が引けるが、それだけ防衛問題、特に核問題についてはタブー視する力が強かったのである。

 結論から言えば、私は以下の様な原則に従って、日本は国防政策を構築すべきであると考えている。


(1) 自主国防

 言わずもがなであるが、国防は自主防衛が基本である。
自らの国を自らの手で守り、その足らざるところを他国との協力関係、また同盟関係によって補っていくべきである。
他国に対する依存から始まる国防論議はナンセンスである。
しかし従来の国防方針においては、「初めに日米安保ありき」が原則であり、前提であった。

アメリカが日本を守ってくれる事を前提とし、その足らざるところを補うのが自衛隊である、というのが基本方針であった。
この方針を根本的に逆転させなければならない。

つまり、自主国防が主であり、その足らざるところを日米安全保障条約等によって補うという新方針を国防の基礎に据えなければならない。


(2) 憲法9条改正

 当然、最低限の条件として、憲法9条の改正は必要である。
日本人は国防軍を創設し、自らの安全を守る旨を憲法に明記すべきである。


(3) 核武装

 核兵器が拡散してゆく状況を見ると、もはや、日本の核武装は避けて通る事が出来ないであろう。
国防体制は、1つのシステムとして整備しなければならず、核装備を欠く国防システムでは、日本国民の生命と安全を守りきる事は出来ない。
これは現実をよく見てみれば、簡単に了解できる事である。
好悪の問題は別として、日本人の頭上に第3発目の核兵器が炸裂する事を防ぐ為には、日本の核武装は不可避であろう。


(4) 対米同盟堅持

 国防におけるアメリカとの協力関係は、これを維持・発展させてゆくべきである。
核武装を含む自主国防体制を整えた日本が、アメリカと、そしてアジアの民主国家と手を携えて、地域の安定秩序を保ってゆく事が、日本の基本方針である。
核武装した日本とアメリカとの同盟関係は可能である。

可能であるばかりではなく、日本が核武装を含む自主防衛努力を高めてこそ、より強い日米関係の構築が可能となる。

アメリカが日本の核武装を原則的に拒否しているというのは、もはや、完全に過去の話である。
以上のような結論に、何故到るのかを以下に論証してゆきたい。



■ 核拡散防止体制は有名無実

 核兵器の拡散を防止する体制は、今や確実に崩壊しつつある。
米ソ冷戦時代は一応、国連安全保障理事会の常任理事国のアメリカ・イギリス・フランス・ソ 連・中共(チャイナ)の5大国による核兵器の独占体制が維持されていた。
インドはいち早く核武装し、イスラエルも事実上核武装している事は周知の事実であったが、それ以上の核兵器の拡散は、防ぐ事が出来ていた。

この時代であったならば、日本がいたずらに核武装に走る事は、明らかに国益に反していただろうし、日本の安全の為に核武装を考える必要は全くなかった、と言ってもよい。

言いかえれば、フィクションとしての「アメリカの核の傘」は存在する事になっていたし、そ のフィクションを多くの人々が受け入れる限りにおいて、フィクションは又、現実でもあった。

 そして米ソ冷戦時代においては、我々はソ連及びその周辺の共産国の脅威だけに関心を集中していれば良かったのである。
この時代、特にニクソン訪中によってソ連の脅威に対する米中の戦略的提携が存在した当時は、中共の核兵器はそれが未だ、技術的に未発達であった事もあり、日本に対しては殆ど脅威ではなかった。
ところがこういった戦略環境は全く一変してしまった。

 まず第一に、現在の国際環境においては、日本にとってもアメリカにとっても、最も警戒すべき脅威はソ連からではなく、中共(チャイナ)から発している。
中共の軍事拡張主義と覇権主義が日本にとっては眼前明白の危険である。
そればかりではなく、アメリカにとってもチャイナの脅威が最も現実的なものであり、それは他の東アジアの民主国家にとっても同様である。
(※これについては詳しく後で述べるが、今や米中間には核の相互確証破壊が成立してしまっており、アメリカの日本に対する核の傘は存在し得ない状況となっている。)

 第二に、核兵器の拡散が現実に既に始まってしまっている。
インドに対抗してパキスタンは既に核保有国となったし、北朝鮮が核兵器とまでは言わなくても、「核爆発装置」を手に入れた事は確実視されている。

これに刺激されて、更にイランが核兵器開発をし続けている事も周知の事実である。
サウジアラビアやベトナムやシリア、トルコ等の国々も皆、核武装に積極的な関心を示している。
特に日本にとっては、アメリカが北朝鮮の核武装を防げなかったし、それを放棄させる事が出来ない、という事実は圧倒的に重要である。

 このように客観的な戦略状況が変わってしまった以上、1991年のソ連邦崩壊まで有効であった日本の国防原則は、根本的に再編しなければならないのである。


■ 米中で成り立つ相互確証破壊

 やや複雑かもしれないが、以下で、米中間には既に相互確証破壊の現実が存在しており、それ故にアメリカの日本に対する「核の傘」は存在しない事を論証してみよう。

 まず、相互確証破壊(Mutual Assured Destruction:MAD)の論理とは、何だろうか。

 今、チャイナがアメリカを滅ぼす為に核兵器による先制攻撃を行なった、としよう。
チャイナによるアメリカに対する核第一撃(Nuclear First Strike)である。
この核第一撃が完全に成功して、アメリカ国民の過半数が死に絶える事があっても、アメリカは反撃能力を備えている。
つまり、地下のミサイル・サイロに格納したICBMや、潜水艦に搭載したSLBMがチャイナの核第一撃をサバイバルする事が出来るようになっている。
そこでアメリカはこれらの核戦力を用いてチャイナに対して報復を行なう事になる。
つまりアメリカによる核第二撃(Nuclear Second Strike)である。
この核第二撃によって、チャイナも壊滅的な打撃を受ける事になる。

 これはアメリカがチャイナに対して核第一撃を行なった場合でも、同様の筋道を辿る事になる。
つまり、どちらが核の先制攻撃を行なっても、最終的には自国を破壊してしまう事になる。
共倒れである。
核戦争に関わる両国が共に確実に壊滅してしまうので、この状況を「相互確証破壊」と呼んでいる。
英語で略称して「MAD」と言うが、これは「狂気」という意味でもある。

つまり相互確証破壊は「狂気の論理」であるという、掛け言葉にもなっているのである。

 この相互確証破壊の論理はアメリカとロシアの間にも存在しているし、アメリカとチャイナの間にも存在している。

それ故に、指導者が合理的な思考をする限りにおいては、これら両国は核第一撃を用いる事が出来ない。
核先制攻撃に成功しても、自国が壊滅してしまうからである。

 それ故に相互確証破壊の論理が成立する二国間では、核の安全が存在している事になる。
分かりやすく言えば、お互いに核兵器を向けあったまま、睨めっこをしている状況である。
核兵器による「恐怖の均衡」が成立している状況である。


■ チャイナの軍拡は「核の傘」を破った

 相互確証破壊とは、以上のようなものであるが、問題は、この相互確証破壊の論理が成立しない周辺国に生じて来る。
かつては、チャイナは核一撃力は持っていたが、アメリカに対して核第二撃力は保有していなかった。
つまり、SLBM(潜水艦搭載の戦略核ミサイル)の開発が出来ていなかったのである。

 この時代であれば、チャイナの日本に対する核の脅威に対して、アメリカの「核の傘」は論理的には成立する事が出来た。

例えば、チャイナが日本に対して核攻撃を行なう。
これに対する報復としてアメリカがチャイナを核攻撃する。
しかしチャイナは核第二撃力を保有していないので、アメリカに対して核兵器で報復をする事が出来ない。
こういう状況であれば、アメリカが国家意志を発動しさえすれば、日本を核攻撃したチャイナに対して、報復をする事は出来た訳である。

 また、チャイナが日本とアメリカに同時に核攻撃をした場合でも、アメリカはチャイナに対して核第二撃力で報復する事が出来る。

このような推論が成り立つ限りにおいては、チャイナが日本に対して核攻撃をしてこない事が保障出来たのである。
これがアメリカの日本に対する「核の傘」と言われているものの内実である。

 つまり、アメリカが日本に提供する「核の傘」は、チャイナが核第二撃力を保有していない事を前提としてのみ、成立するものである。

ところがチャイナは、長年の開発努力によって既に「巨浪?号」等のアメリカ大陸を射程圏内に収めるSLBMを開発してしまった。
つまり核第二撃能力を既に手にしてしまったのである。

そうである以上、アメリカの日本に対する核の傘は、論理的に存在し得ない事になる。

「チャイナが核第二撃力を持っている状況下でも、アメリカの日本に対する核の傘が存在し得る」と主張したら、それはどんな事を意味するのであろうか。
それはこういう事である。

 チャイナが日本に核攻撃を行なう。
それを見たアメリカがチャイナに向けて核攻撃を行なう。
その報復としてチャイナはアメリカ本国に対して自らの核第二撃力の報復を行なう。
当然、アメリカ本国は壊滅的な打撃を受け、少なくとも数千万人の死者が発生する事であろう。
この状況が有り得るならば、「チャイナの核第二撃能力」と「アメリカの日本に対する核の傘」は両立し得るのである。

しかし、どの国の指導者が、既に滅んでしまった友好国の為に、数千万人の自国民の生命を犠牲にする事が出来るだろうか。
現実的な想定としてはそれは有り得ない。

そのような決断をするアメリカ大統領がいたとすれば、彼は国に対する裏切り者と見なされるだろう。

 そうである以上、常識の論理の範囲では、今日もはや、アメリカの日本に対する核の傘は存在していないのである。
それは単に「言葉として」しか存在しない。

それを信じる日本人がいるとすれば、よほどの脳天気かアメリカ指導者の狂気を信奉している者であろう。

 言いかえれば今日、「アメリカの核の傘」は、アメリカ国民数千万人の命の代償によってしか、成立し得ないのである。
日本側からアメリカの核の傘の保障を要求するとは、自らの国防努力の不作為を棚に上げて、「いざという時には数千万人のアメリカ国民は、無条件に日本の為に命を捧げるべきだ」と主張しているのに等しいのである。

こんなに無責任で傲慢な要求が有り得るだろうか。

 日米関係が真の友好に基づく、有効な同盟関係となる為には、同盟が、数千万人の命の代償等というトンデモナイ前提に基づくものであってはならない。
当然の事であろう。

このようなジレンマから脱して日米関係を健全な基礎の上に築くには、日本が自主核武装を するしかないのである。


■ 民主国家の核はアメリカも認める

 日本の自主核武装を論ずる場合、常に提議される疑問は「アメリカがそれを容認するか」という問いである。
これに関しては、アメリカの中では様々な考えがある事を前提としても、筆者は、今日では「容認する」と答えられる。

 現実に即して言えば、軍事的なリアリスト(共和党と民主党の両党に存在する)の間では、答えはYESである。
一部の極端なリベラル派、親中派、反日派は明らかに反対するであろうが、日本をアメリカの重要なパートナーと考えている指導者の大部分は日本の核武装を肯定せざるを得ない。

「せざるを得ない」と書いたのは、彼らは日本に対して核武装をしろ、とは恐らく積極的には主張しない。

しかし日本側が、「健全な日米同盟の発展の為には、日本の自主核武装が必要である」と主張すれば、彼らはその日本の主張を肯定せざるを得ないからである。

 そもそも日本の核武装を論じようとする日本人が、アメリカがそれを肯定するか否定するかを気にしているというのは、原則的に陳腐な事である。
アメリカが否定して来るとすれば、いかにしてアメリカを説得するかを考えるのが真の愛国者の道である。
しかし今日幸い、戦略環境が大きく変わり、まして北朝鮮まで核保有に手をかけた状況では、アメリカは友好国日本の核保有に対してNOという事は出来ないのである。

「日本は民主国家である」とアメリカに認識されている。
その民主国家が堂々と国民の議論と法的な手続きを経て核武装しようというのであれば、いかなるアメリカ人の政治家といえども、表立ってはこれを否定する事は出来ない。

 私も何人ものアメリカの政治家や外交関係筋に日本の核武装についての彼らの態度を打診したが、最大公約数の答えは、
「民主国家の核武装は北朝鮮の様な、ならずもの国家の核武装とは全く異質である。
日本人が国民的議論を経て核武装を決定するならば、これをアメリカは否定する事は出来ない」
というものである。

日本核武装を歓迎する事は出来なくても、否定する事は出来ない、というのがアメリカの常識である。

 確かにアメリカの指導者の多くは、日本がいつまでもアメリカにとって都合のよい存在であってほしいだろう。

しかし同時に彼らは日本人が独立と名誉を重んじる国民である事も知っている。
それ故にいつまでも、日本がアメリカの属国のような立場に甘んじられない事も知っている。
だから、日本がより成熟した同盟関係の構築を求めるならば、日本の核武装はその為のコストであると、現実的に見なしているのである。

 さらにいえば、軍事的リアリストの中でもネオコンなどのタカ派の人々は、むしろ日本が核武装に進み、国防努力を高める事によってしか、今後の機能的な日米同盟は成立し得ないとさえ考えている(この点に関しては、日高義樹氏の「米国は『日本の核武装』に異論なし」『VOICE』2011年3月号参照)。


■ コートに落ちたままのボール

 日米関係に関して論ずる際に、忘れてはならないのが2000年に発表されたアーミテージ・ナイ・レポートとその続編である。
この2000年の通称「アーミテージ・レポート」では、アメリカの日米関係に携わる民主・共和両党の専門家が、「日本をイギリス並みの同盟国として扱う」という提案を日本に対して投げかけて来た。

この提案に対して実は、日本側は国家として責任ある答えをしないままに今日に至っている。

レポート執筆に関わった複数の人間から聞いたところによれば「イギリス並みの同盟国としての扱い」とは、これ以上は考えられない、日本に対する最高の提案であり、これを日本人が拒否するならば、日米関係の未来は有り得ない、とまで彼らは考えていたのである。

 にもかかわらず、個人的に様々な論評は出たが、日本側がアメリカに対して超党派の委員会を作り、意見をまとめて応答するという事は終に無かった。

ボールは日本側のコートに落ちたままになっている。

アーミテージ・ナイ両氏を筆頭にレポート執筆関係者が大いに落胆した事は想像に難くない。

 行間を読めば、イギリスは核保有国である。
アーミテージ・レポートの中には「日本の核武装を歓迎する」とは書いていないが、イギリス並みの同盟国という言葉が意味するところは深長である。
同レポートの骨子は、日本が共同防衛により大きな負担を担うならば、それに応じて日本の独自の判断や自主性を尊重する、という事である。
日本はこのアーミテージ・レポートの提案に対して、積極的に新しい日米関係の構築を提案していくべきである。


■ 日本は真の「ニュー・ノーマル」へ

 時にアメリカは、特に経済問題においては無理な要求をしてくるが、それに100パーセントYESと答える必要は全くない。

例えば現在、米オバマ政権は日本のTPP加盟を積極的に働き掛けている。
しかしTPPに関してはアメリカ国内でも反対意見が多い。

アメリカが一丸となってTPPを日本に強制しようとしている、というのは誤りである。

一般に今日のアメリカでは、行きすぎたグローバリズムに対する反省が拡がっている。

 アメリカの国益、特に多国籍企業ではなく、中産階級や貧困層の利益を重視すべきである、とのアメリカ世論がリーマン・ショックの後は圧倒的になっている。

TPPはアメリカの多国籍企業には確かに利益になるが、農民を含む勤労アメリカ国民一般にとってはむしろ、彼らの利益を害するところの方が多い。


 これを象徴するような事件が最近起きた。
共和党の中でも極端な草の根保守派であるリバタリアンのロン・ポール下院議員と、従来極左と見なされて来た市民運動家のラルフ・ネーダー弁護士が、反グローバリズムの旗のもとに共闘を宣言したのである。
両氏はWTOからの脱退は元より、既に締結したNAFTA(北米自由貿易協定:アメリカ・カナダ・メキシコを市場統合する協定)からの離脱まで主張しているのである。

自由貿易一辺倒で推進して来た貿易政策が、実はアメリカ国民の利益になっていないという反省が、ここには顕わである。

 また、両者は海外での米軍の戦闘行為の即時中止と、海外の米軍基地の全廃をも訴えている。
これがアメリカ国民のコンセンサスとして、即時実施される事はないだろうが、アメリカの経済力が、相対的にではあるが徐々に衰退しつつあるのは確かであり、イデオロギーの問題ではなく、予算上の問題から、アメリカ軍は海外へのコミットメントを減らさなければならない状況にある。
アメリカの経済力・軍事力が絶対的なナンバーワンの地位から相対的なナンバーワンの地位へ と滑り落ちつつあるのは確かである。

 未だにアメリカの力を、特にその軍事力を見くびる事は許されない。
それ故に日本が友好国としてアメリカとの同盟関係を築いていく事は日本自身の国益の為にも勿論、必要な事である。
しかし衰退しつつあるアメリカに、いつまでも頼り続ける事は出来ない。

「安保タダ乗り論」は60年代から批判の的であったが、今やアメリカの経済力の衰退から、アメリカに防衛を頼り続ける事は既に、出来なくなっているのである。

これが新しいリアリティーであり、また最近流行の経済用語を使っていうならば、「ニュー・ノーマル」(新常識)でもあるのだ。

                        (了)


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《詳細・内容紹介》

【復興と再生の年、5年目を迎えた『撃論』がリニューアルして日本の安全を問う!】

 眠り続けていた日本がようやく目覚め始めようとしている。
 そのきっかけとなったのが、昨年秋の尖閣諸島での中国武装漁船テロ事件であり、今年3月列島を襲った未曾有の大震災ではなかったか。
「領土問題なんて話し合いで解決できる」「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼しよう」 もはや、そんな寝言が通用する時代は過ぎたのだ。
「暴力装置」と呼ばれた自衛隊を感謝の涙で迎える被災地、「日本頑張れ」と世界中で振られる日の丸を目にして、われわれは何を思うか。
 世界に愛される日本、それは戦う日本である。
 内に大震災、外からは隣国の脅威……新生撃論・第一弾は、安全保障と国防に切り込む!
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● 目次
【カラー】自衛隊戦争ドクトリン
■中川八洋 <憂国の緊急寄稿> "風前の灯"尖閣列島と国防忘却の日本
■藤井厳喜  新しい"リアリティ"の時代へ ─ 21世紀、日本の選択 震災日本だからこそ考える改憲と核
■佐藤守  元空将・佐藤守の言論スクランブル ─ この危機にこそ、目を離すな
■石破茂自由民主党政務調査会長 <特別インタビュー>震災と原発事故から考える国防体制
■井上和彦 水面下の国防体制構築に原子力は不可欠の時代だ ─ 日本原潜配備計画
■仲間均石垣市議会議員 <特別寄稿> 我が尖閣上陸の記
■桜林美佐 「武器輸出3原則」緩和だけでは解決できない特殊な事情 ─ 防衛産業を理解すれば国防が見える
■元航空幕僚長・田母神俊雄×評論家・渡部昇一 <緊急会談>「日本人が今、日本のためにできること」
■家村和幸 自衛隊は何を守り、何と戦うのか ─ 革命政権に文民統制される『暴力装置』の危うさ
■宮崎正弘 中東民主革命の波及を恐れる中国共産党 ─なりふり構わぬ中国政府のネット規制
■土屋大洋 機密メールやデータがこっそり読み盗られている!? ─深く静かに潜航する中国のサイバー攻撃
■酒井信彦 侵略性の根本にある中華思想 ─ 全ての民族は「中華民族」という論理
■イリハム・マハムティ(ウィグル独立運動家) <特別インタビュー>国を奪われるということ
■大高未貴 アジアの諸国民から生声リポート ─中華を大包囲するアジアの反中親日感情
■アリムラヨシヒロ 「アジアの連帯」を唱えて再び走る亡国への道─支那幻想に狂い続ける現代のアジア主義者
■三橋貴明 インフレとバブルに怯える脆弱な足腰を解剖!─ 世界経済を牽引する「大躍進中国」の真っ赤な嘘
■青山千春 間近に迫る商用化で資源大国への道を開くか─日本近海に眠る膨大なメタンハイドレード

◎column
■浄閑寺せつ  「如果日本戦勝了日本」に読む漢化の恐怖 ─中国人とは何か?
■若杉大  ・泥沼という戦い方  ・空からエネルギーが降ってくる

◎連載
■西部邁 国家の危機を迎えた日本人に近代主義の危うさを問う「非常の思想」
■桜林美佐 自衛隊第五種接近遭遇リポート「百年の剣を磨く」
■岩田温 「たしなみとしての岩波文庫」
■但馬オサム 「但馬流異色日本人列伝 ~中村天風~」
■杉原志啓 「書行無常」

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畏(おそ)る可き天の警告

投稿日:2011,05,16

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「畏(おそ)る可き天の警告」

(※ 以下の本文は、既に発行された國民新聞5月号への寄稿文をNET上でも公開するものである。)


 東日本大震災と福島原発事故の全ての罹災者の方々に、心よりのお悔やみとお見舞いを申し上げると同時に、一日も早い復興をお祈り申し上げる。

 悲惨な罹災者の現状に同情を覚えつつも、同時に心中深く感じたのは、神々の振るう大鉈は悲情であるという事だ。

 筆者は元来が宗教的な人間ではない。
しかし平成23年3月に日本を襲った大天災は、正に天が日本に下した災であり、神々の世界から日本人への警告であると思えてならない。
日本人の今の有様、今の生き方を改めよ、との天からの啓示である。

 畏(おそ)る可き天の警告を畏(かしこ)み、傅(かしず)いて吾々は受け入れることが出来るのだろうか。

 復興の必要は言うまでもないが、復興の前に、従来の日本人の生き方を、それは原子力発電という技術の利用も含めてであるが、反省しなければならないのではないか。

経済効率至上主義や技術過信は、究極的には唯物論につながる「人間の生き方」であるが、それらへの根本的反省なしに、単に「旧に復する」事のみに専心する様では、日本の将来は益々危ういものとなる。

 天は日本人に警告を発し、その警告を通じて人類に黙示したのではないのか。
人類の文明の在り方そのものの転換を、示唆したのではないのか。

 では何故、日本人が、東北がその警告の対象として選ばれたのか。
神は、人類の中で最も劣悪な者ではなく、最も優良なる存在を選んで、敢えて巨大な試練を課したのではないだろうか。
神は日本民族が必ず正しい道に覚醒し、新しい文明の先駆者となる事を確信して、この使命を日本民族に課されたのに違いない。


 筆者は大正12年(1923年)の関東大震災もまた天から日本民族への啓示であり、黙示ではなかったのかと推察している。
あの天災を当時の日本への天界からの警告と捉え、日本の有り様に根本的反省と改革を加えていたら、大東亜戦争の敗戦は避けられたのではないか、と思うのだ。
あの美しい大日本帝国を亡ぼさずにすんだのではないか、と想像力を逞しくしているのだ。

 1905年、日本は日露戦争に勝利し、世界の一等国となった。第一次大戦にも参戦し、日本の国力は更に伸張した。
その後の1923年に関東大震災が起きた。
その22年後、1945年日本は未曽有の大敗戦を迎える。

今思えば、関東大震災は、日露戦争の勝利と大東亜戦争の敗北の丁度、中間で起きている。

あの時、日本人が明治維新以来の急速な発展の歪みを正し、政治・経済・軍事機構のオーバーホールを実行していたなら、敗戦という悲劇を回避する事が出来たのではないか。
素晴らしい帝国を亡ぼさずにすんだのではないか。筆者はこの思いに捕われている。

明治初期に来日し、日本陸軍の将校教育の基礎をつくったドイツのメッケルは、日本軍人の欠点として、希望的観測に依存しすぎる事を挙げている。
聴く可き言葉であると思う。


 東日本大震災の教訓を正しく生かさなければ、私達は一層、酷い敗戦にやがて直面する事になるのではないだろうか。 




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原発継続は即ち、日本の隷従化の継続である

投稿日:2011,05,14

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 原発継続は即ち日本の隷従化の継続である


要旨: 
 現行の原子力発電の継続は、即ち、「真の独立国家たり得ない日本」の現状の継続を意味する。
日本国の真の独立を望む人々は、現行の原発体制の廃止を決断しなければならない。
原発と憲法9条は表裏一体である。


本文:

 日本の愛国者のかなりの部分が、原発は日本のエネルギー自立に有効であると考え、原発推進にくみしているが、現実は全く逆である。
原子力発電は憲法9条と表裏一体の関係にある。

 原発と憲法9条は、共に日本の真の独立を阻害し、第二次世界大戦後の戦勝国のみによる国際秩序に、日本国を隷属させるものである。
原発は日本のエネルギー自立に全く役立たないばかりではなく、むしろ逆に、政治的力関係においてすら、日本を既存の核大国による秩序に隷属せしめるものなのである。
原発の安全性の問題は今しばらく棚に上げて、国際政治面からこの事を考察したい。


 現在の日本の原発体制は、米英仏露中の5大核兵器保有国(それはそのままに国連・安全保障理事会の常任理事国でもあるが)が構築している所の、核拡散防止体制に従属している。
そして核拡散防止体制なるものが、実は、5大国による核兵器独占体制である事は周知の事実である。
そしてこの5大国が、基本的には、第二次大戦の戦勝国である事も言うまでもない。
ソ連がロシアに変わり、中華民国は中華人民共和国(中共)にとって代わられたが、戦勝国連合の枠組みそのものは今も生きているのである。
国連 The United Nationsとは、そもそも第二次大戦の連合国 The United Nations から発生した国際機関であることも確認しておこう。

 インドやパキスタンの核武装で、5大国による核兵器独占体制は大分ゆらいできている。
しかしこの体制が未だに継続しており、実力を有しているのも確かである。
この体制は、核拡散防止条約(NPT)を中心に構築され、包括的核実験禁止条約(CTBT)によって補強され、国際原子力機関(IAEA)によって監視されている。


 日本の原子力発電は、この「核拡散防止体制」に反抗する事によってではなく、この体制に完全に隷従する事によって成立している。
日本の原子力発電所や再処理施設においては、核分裂物質の管理は、IAEA(国際原子力機関)の厳重な監視下におかれている。
これは勿論、日本の核武装を防ぐ為である。日本は「絶対に核武装をしない」という前提条件を受け入れた上で、原子力発電を許されているのである。

 特に、核武装に利用される恐れのある“再処理施設”に関しては、日本は核兵器を保有しない事を条件に、特別に“再処理施設”の運転を認められた国である。


 日本は「核武装をしない」事を条件に、核拡散防止体制という国際秩序(International Regime インターナショナル・レジーム)の中で、原子力発電を許されているのである。
という事は、原子力発電と核武装は二者択一であり、二律背反であり、相いれないのである。
つまり、現行の体制で原子力発電を継続する限り、日本は核武装する事は絶対に出来ない。
そういう国際的な枠組みが既に出来てしまっている訳である。

 言いかえれば、日本の原発推進論者とは、本人が意識するしないに関わらず、「日本は絶対に核武装しません。
その代わりに原発を許して下さい」と嘆願している哀れな存在である。
既存の国際的な枠組みを、唯々諾々として受け入れ、5大核大国に媚を売っている卑しむ可き存在である。

 自覚せずに(原発がエネルギー自立に貢献すると誤解して)原発推進を主張する人々は、是非この機会に、目覚めてほしい。
もし自覚した上で原発推進を主張する者があれば、それは国の独立という最も大事な国益を売り渡す「売国」の輩と断じてさしつかえあるまい。
日本の電力業界や経産省の内部や周辺には、この手の売国の輩が少なからず存在する様である。

 原発推進論者は核武装に反対してしばしば次の様に言う。
「核武装する為には核拡散防止条約から脱退しなければならない。
そうすれば、原発に必要なウラン燃料を海外から売ってもらえなくなる。そうすれば原発は動かない。」
これは尤もな意見である。(国内に蓄積したプルトニウムを原発燃料にするのでなければ)これは全く正しい。
という事は、原発を続ける限り、我々は核武装を自ら放棄しなければならないのであり、現にそうしているのである。


 原発と憲法9条は、その根本から見て、全く表裏一体の存在である。
憲法9条の本質は、という事は現行“憲法”(内実は占領基本法)の本質は、という事にも繋がるのであるが、自らの安全を自らの手で確保する事を諦め、自らの命運を他国の手に委ねる所にある。
主体性の放棄である。

 原発推進派の拠って立つ所も、全くこれと軌を一にする。
核武装という最も重要な自己防衛の手段を自ら放棄し、他国の手に自らの安全を委ねるのである。
そしてその代償として、原発という「銭儲け」には適しているが、エネルギー自立の為には屁の役にも立たない厄介なものを押しつけられるという訳である。
間尺に合わない、とは正にこの事である。
憲法9条的自己責任の放棄というメンタリティー(心的態度)の延長線上に、原発推進の論拠は存在している。


 私はこの論考を、日本の核武装を真剣に考えている人達に向けて書いている。
核武装などという恐ろしい事は考えたくない、という人々は、この論考を読む資格も必要もない。
自国の安全を自らの手で確保しようと決意した者なら、核武装が避けて通れない事は自明の理である。
日本は周辺を核武装国家によって囲まれている。
そして東アジアには、チャイナと北朝鮮という最も危険な核保有国が存在する。
また、核兵器に対する抑止力が核兵器にしかない事は常識である。これらの現実を怯むことなく直視するならば、日本人の頭上に三発目の原発を落とす事を防ぐ最も確実な手段として、日本が核抑止力を持つ事を否定する事は出来ない。


 アメリカの核の傘が存在しない事は、既に私の他の論文で述べたので参照して頂きたい。
単純に言えば、アメリカとロシア、そしてアメリカとチャイナの間には、「相互確証破壊」(MAD)の関係が成立してしまっているので、ロシアとチャイナに対しては、アメリカの日本への核の傘は存在していない。
アメリカのような強力な国家が友邦ないし同盟国であれば、一般的に言って、抑止力となる事は確かだが、厳密な意味では核の傘は存在しないのである。
北朝鮮のような第二撃能力がない国家に対しては、アメリカの日本防衛へのコミットメントさえ確かならば、アメリカの核の傘は存在する可能性がある。


 しかし更に考えておかなければならない事態がある。
それは日米関係が激変する場合である。
アメリカがいつ迄、日本の友邦ないしは同盟国でいてくれるかは分からないという事だ。
こういった事態が到来すれば、日本は当然、独自の核を含む抑止力を持たねばならない。

 しかし何も日米離反を前提とする必要はない。
米英関係、米仏関係、英仏関係を考慮するならば、独自の核戦力を持った国同士の間にも、成熟した民主国家間の友好関係は成立する事が可能である。
核武装した日本は、イギリスを範として、アメリカとの同盟関係を構築すべきである。
実際、2000年のアーミテージ・ナイ・レポートが日本側に呼びかけたのは、「米英関係を範として、今後の日米関係を構築しよう」という提案であった。


 私がこの論考の筆を執った理由は、日本の保守派の中に存在する原発に関する迷妄を払拭したいと考えたからである。
「保守派は原発推進でなければならない」とする迷妄がそれである。
既に詳しく論証した如く、原発推進とは即ち核武装放棄という事であり、国防政策に於いても、またそれと不可分のエネルギー政策においても、自国の命運を他国の手に委ねるという事に他ならない。
一体全体、この主張の何処に保守主義があるというのか。
保守といってもよいし、愛国者といってもよいし、右派といってもよいし、国益派といってもよい。
言葉やレッテルにはこだわらない。
日本の伝統を大事に思い、その延長線上で国益を重視している全ての人々に一刻も早く覚醒してほしいのだ。
原発推進は、「独立国家日本」を否定し、日本国民の自由と安全を否定するものでしかない事を。


 最後に原発とエネルギー自立と安全性の関係について述べようと思う。
この論考の初めに棚上げにしておいた論点である。
ポイントを要約して示す。

 第一に、日本列島は地震列島であり、この列島の如何なる地点においても巨大地震が起こり得る。
この様な地理的条件下にある以上、日本列島上に安全な原発を造る事は、いかに最新の技術を駆使しようとも、原理的に不可能である。
そして、東海大地震や南海大地震は近未来において起きる事が確実視されている災害である。

 第二に、原発や再処理施設が地震その他の原因によって大事故を起こした場合、その被害は日本のような島国にとっては、国家の存続すら危うくする。
福島第一原発事故では、半永久的な避難地域は半径20から30キロメートルの範囲内ですみそうであるが、これは事故が最悪のコースを辿らなかった為である。

 第三に、原発は日本の電力の25%、第一次エネルギー全体の10数%を担っているに過ぎず、エネルギー自立とは程遠い。
しかも上記のような危険を伴うものであるから、費用対効果( Cost-Effectiveness )の点から言って、賢明な選択とは言い難い。

 第四に、日本ではウラン鉱石は殆んど取れないので、原発推進はエネルギー自立とは程遠い。

 第五に、それ故に、既に国内に30トン以上もあるプルトニウムを燃料とする原子力発電を実行するならば、それは原発をより一層危険なものにするだけである。
プルトニウムの燃料が、ウランのそれよりも格段に制御しにくい事は実証済みである。

 第六に決定的な問題として、日本国内には、高濃度放射性廃棄物の処分場(保管場所)が存在しない。
それは日本列島が地震列島であるという第一の理由から必然的に導き出される結論である。
アメリカ政府は、高濃度放射性廃棄物は100万年責任をもって保管する必要があると宣言している。
100万年単位で見れば、過去、日本列島はそのかなりの部分が海面下であった時代もある。
日本には、ヨーロッパのように何億年も安定している強固な岩盤は存在しない。
日本列島はかなり若い、火山活動やプレート移動や地殻変動の育成物なのであり、残念ながら、この列島上に高濃度放射性廃棄物の安定した長期保管場所は存在しないのである。


 以上の如き条件を鑑みれば、原発が日本のエネルギー自立に全く無益である事は、明々白々ではないだろうか。
エネルギー供給と食糧供給こそは、国家の独立の物質的基礎である。
その意味でエネルギー供給の自立(必ずしも自給自足を意味しない)は、国家の独立の為に極めて重要であるが、原子力発電はこの為には全く無益である。

 たとえ日本が、核拡散防止体制を勇気をもって離れ、核武装を決行し、その上で原子力発電を実行しようとしても以上の6つの原発を巡る条件は変わらないのである。
百歩譲って、地震に対して安全な原発が出来たとしよう。
それでも、原材料(ウラン)も自給できず、廃棄物の処分場も国内にないのであるから、原発がエネルギー自立に全く役に立たない事に変わりはないのである。


 日本の真の再生と自立を目指す人々は、今こそ“原発幻想”から目覚めなければならない。
それではなぜ、原発幻想はこれ程までに真面目な日本人を汚染してしまったのか?


 この究明の為には新たな論考を必要とする。
今、確実に言える1つの事は、前後の真のコストさえ無視すれば、電力会社にとっては原発が桁外れに儲かるビジネスだった、という事である。




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福島原発事故の意味するもの― 失われた日本のエネルギー覇権

投稿日:2011,04,27

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★ 地震・大津波で被害に遭われた方々に、心よりのおくやみを申し上げます。
又、原発事故により、避難や屋内退避を余儀なくされた多くの方々にも、お見舞い申し上げます。


※ 以下は、私が発行している弊社CFGレポート4月号に発表した文章からの一部引用である。
本ブログ上でも、このレポートを紹介してほしいとの希望があり、公開させて頂きます。
(ここのところ多数、寄せられる質問メールや、より詳細レポートの公表を希望する声に答えるものとします。)


要旨:
● 福島原発事故(3・11事件)によって、残念ながら、我が国は原子力発電という覇権的テクノロジーの優位性を失った。
これは、大東亜戦争の敗戦、さらに金融敗戦に続く、第三次敗戦と言ってもよい。

● 石油時代にとって変わる「原発ルネッサンス」への動きは、これによって決定的なダメージを受けた。

● アメリカは、原子力発電部門における技術的覇権をもう一度、日本から取り戻そうとしている。


1. 原子力ルネッサンスの幻想

 1979年にアメリカでスリーマイル・アイランド原発事故が起き、1986年にソ連でチェルノブイリ原発事故が起き、これらの2つの大きな事故により、原子力発電は世界的に大きな挫折を体験した。
しかし、近年、「地球温暖化防止の為のCO2削減」を大義名分に、化石燃料(石炭・石油・天然ガス)を排除し、原子力発電を再評価する動きが急浮上してきた。
これを「原発ルネッサンス」ないしは「原子力ルネッサンス」と呼ばれて来た。


▲現在世界では442基の原子炉が稼働している。
現在、アジアを中心に155基以上の原子炉建設計画があり、既に65基が建設途中である。
1979年のスリーマイル・アイランド事件より、原発の新規建設を行なってこなかったアメリカも、既存の104基の原子炉に加えて、21基の新原子炉の建設を計画中である。

我が国の電力供給の電源別割合は、1980年には原子力17%、石油46%、石炭5%、天然ガス15%、水力17%であった。
これが2009年には、原子力29%、石油7%、石炭25%、天然ガス29%、水力9%となっている。
石油による火力発電の割合が極端に低下し、原子力発電が急速に伸張した事が明らかである。
これは、国家の電力政策の方針の反映であった。
つまり「脱石油・原発増設」こそが、日本の電力政策であったのである。


2. 覇権的テクノロジーとしての原発

   アメリカの原子力発電所の新規建設が30年以上に渡って中止されている間に、わが国は、いつの間にか、原子炉の最先端国家となっていた。
現在の世界の原発建設事業は、事実上、日本、フランス、ロシア、3カ国の独占となっている。

▲我が国の原発技術は、アメリカから導入されたものであるが、アメリカの原子炉建設が停滞する中、わが国の東芝・日立・三菱重工の3社は、最新の原子炉建設技術を発展させるに至った。
東芝は、米ウェスティングハウスを買収し、日立は従来からGEと提携し、三菱重工はフランスの原子力産業アレバと提携している。
ロシアを除けば、最新の原発を建設出来るメーカーは、東芝、日立、三菱重工と、フランスのアレバの4社しか存在しないという状況となった。
アメリカとすれば、自らが開発した技術を日本に技術移転したのだが、いつの間にか、日本の方が優れた技術を開発してしまい、庇を貸して母屋を取られたような状況となっていた。

日本勢3社は、その傘下企業も含め、「地球温暖化論」の応援を受けた原発ルネッサンスの流れに乗り、原子炉輸出で世界に大きく飛躍しようとしていた。
その矢先に3・11事件は勃発したのである。
時、あたかも北アフリカから中東では、一連の反体制運動が連続して起こり、世界最大の産油地帯が極めて社会的に不安定な状態に陥っていた。
大産油地帯の混乱から、原子力ルネッサンスが更に加速化するかに見えた、まさにその時に、3・11事件は起こったのである。

▲原子力発電は、エネルギー供給における覇権的なテクノロジーである。
一国が優位性を持てば、他国は原子炉開発において技術を持つ国の風下に立たなければならなくなる。
エネルギーを握られるとは、国の生殺与奪の権を握られるに等しい。
その意味で、覇権的なテクノロジーなのである。
加えて、原発は、核武装と表裏一体の関係にある。
世界で「核の平和利用」という言葉が通じるのは日本だけである。
原子力発電は、核武装と表裏一体であるというのが世界の認識であり、原子力発電の推進とは、潜在的にその国が核武装を目指しているという意思表示でもある。

 それ故に、アメリカはイランの原発推進を必死で阻止しようとしているのである。

ちなみに日本には既に40トン近くのプルトニウムが存在する。
それ故に、世界は日本の真意が核武装にあるのではないかとの疑いから常に目を光らせて来た。
また、日本では、欧米諸国が技術的理由から撤退した高速増殖炉計画やプルサーマル計画が生きており、これらが実現されれば、事実上の永久エネルギーを日本が手にする可能性すらある。
エネルギー自立とは、日本が欧米の桎梏から完全に自由な存在となり、また、石油その他の化石燃料の海外からの供給に制約される事なく、完全な主権国家として自立する事を意味している。
核武装をし、エネルギー自立を成し遂げた日本が、周辺諸国にとって大きな脅威と認識される事は当然の事であった。
日本人の大部分は、そんな事には気が付きもしなかったが、日本は原発開発を通じて、いつの間にか自立的な覇権確立への道を歩んでいたのである。
少なくとも、周辺諸国はそのように日本を見なしていた。
まさにそのような時に、3・11原発事故は惹起したのであった。



3. 対米依存に戻らざるを得ない日本

   福島第一原発の第1号機から第4号機まで相次いで爆発・出火が起きた3月16日、東京電力は日本政府を経由せず、アメリカ国防総省に直接支援を要請したと伝えられる。
翌3月17日には、米軍の原子力災害対策チームの派遣が決まり、空母ロナルド・レーガン等、第七艦隊が福島県沖を中心に周辺海域に配備された。
菅直人首相は、米軍への全面依存に抵抗し、フランス政府と仏アレバへの支援要請に傾き、アメリカとの間に更に大きな軋轢を生じさせてしまった。

しかし、事故対策のノウハウを持たない日本側は、結局、米軍に頼らざるを得ず、今や福島第一原発内には、米軍が常時駐留する体制となっている。

▲米オバマ政権は、国内での原発建設を進める方針は変えてはいない。
福島原発事故を奇貨として、アメリカは日本の原発テクノロジーを再び、その支配下におこうとしているように見受けられる。
米原子力規制委員会の(NRC)のグレゴリー・ヤツコ委員長が福島事故に関する非常に厳しい評価を発表しているのはこの為であろう。
ヤツコ委員長は、元米民主党のハリー・レイド上院議員の科学顧問を務めており、2005年にNRCの委員に就任しているが、5人の委員の内、民主党系はヤツコ委員長1人である。
福島原発事故の危険性を強調するヤツコ委員長の発言内容を元来、原発推進派であるオバマ大統領が尊重しているのは奇妙な事に思えるかもしれないが、実はそうではない。
アメリカがこの際、再び原発技術を自らの覇権の内に収めようとしていると考えれば、オバマ=ヤツコ・ラインの福島原発事故に対する厳しい態度は十分に頷ける。
福島原発事故にも関わらず、米国内では目立った反原発の動きは起きていない。

▲東芝・日立・三菱重工の株価時価総額は世界的比較においては小さい方であり、アメリカ資本からすれば、その企業買収(M&A)すら可能である。
QE2で十二分の資金力を持つ米金融機関・企業からすれば、垂涎の的のテクノロジーを数多く持つこれら日本のハイテク企業は、現在、トンデモナイ「バーゲン・セール」にあると言ってもよい。
日本人が自信を喪失し、株価が低迷している現在、日本に奪われた覇権的テクノロジーを奪回し、自らの傘下に置く絶好のチャンスである。

原発を考える時、筆者が常に強調して来た1つの重要な視点は、「原子力エネルギー業界」対「石油・化石燃料業界」の対立という視点である。
1950年代にアメリカで原子力産業が生まれ、一時、急速に伸張しはしたものの、やがて頭打ちとなった。
この2つの業界の力関係を比べると、売上高は、二桁程も違うのである。
例えば、米GEの2010年の売上高は1502億ドルだが、原子力関連事業の売上高は10億ドル程度であり、全体の150分の1である。
GEのエネルギー部門の売上高は、約310億ドルであるが、この内、ガスタービンと風力タービンの売上が約40%を占めている。
またアメリカにおいては、日本の九電体制と異なり、電力会社の規模は小さく、その数も多い。
電力事業の自由化が進んだ事もあり、原発の運営企業である電力業界の政治力は、日本とは比較にならない程、弱い。
アメリカには日本で確立してしまったような原発翼賛体制は存在しないのである。

▲確かに原発は、日本のエネルギー自立に何がしかは貢献するものではあるが、そもそも日本にはウラン鉱石は殆ど存在せず、また日本国内にウラン鉱石からウラン燃料をつくる一貫した商業濃縮施設を持つ事は出来ていない。
持てば、日本は核武装を疑われる事になる。
また、放射性廃棄物については、その最終処理場すら決まっておらず、謂わば、原発は、水のない水洗トイレのような存在である。
つまり、燃料を自己調達できず、廃棄物処理も出来ないのであれば、原子力技術だけ優れたものをもっていても、そのエネルギー自立の度合いは極めて限られる事になる。
原発が日本の真のエネルギー自立を保証するものでない事も認めなければならない。

「原発vs石油」というエネルギー覇権を巡る世界的対立軸の中で、日本はいつの間にか原発輸出という目先の利益を求めてわが身を忘れて浮足立っていたと言えるのではないだろうか。
例えそれが地球温暖化プロパガンダに乗せられた非自覚的なものであったにしても、日本はトンデモナイ地雷原に我知らず足を踏み入れていた事になる。
原子力テクノロジーは、その本質からして、極めて危険な存在である。
敢えて言うならば、核兵器を開発し、制御できる国家のみが、原発をもコントロールできるのである。
「憲法9条」によって真っ当な国家体制を剥奪され、危機管理が出来ないような政府が、この最も危険なテクノロジーを使いこなそうとする事には無理があったと言わなければならない。

▲福島原発事故によって、アメリカはともかく、ドイツでは、脱原発の動きが加速化している。
ドイツのレットゲン環境相とブリューデレ経済相がまとめた草案によれば、同国は原発から再生可能エネルギーへの移行を加速する方針である。
メルケル首相は、福島原発直後、旧い原子炉7基の運転を停止した。
また、稼働中の原子炉17基の一部の運転を延長する計画を凍結した。
ドイツでは、原子炉は発電量の23%を担っている。
更に、ドイツの代表的重電会社ジーメンスは、福島事件直後にその原発部門を仏アレバに売却する事を決定している。



※ お知らせ
 私の最新の「核武装論」については、4月28日発売の撃論 富国強兵号 vol.1「いまだ放射能で滅んだ国は無し、原発よりも危険な中国に備えよ!」 に、詳しい論文を掲載しております。是非、ご一読下さい。




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日本は原発を国家管理下に置くべし

投稿日:2011,04,18

★  藤井げんき・政治活動専用のアドレスが出来ました【 gemki.fujii7@gmail.com 】
【藤井厳喜Twitterサイト】(日夜、Twitterならではの活動のリアルタイム実況中継や裏話等もしています。)
https://twitter.com/GemkiFujii
  blog_neko-mini.jpg

★ 地震・大津波で被害に遭われた方々に、心よりのおくやみを申し上げます。
又、原発事故により、避難や屋内退避を余儀なくされた多くの方々にも、お見舞い申し上げます。


※ 以下は、私が4月12日に発表した長文のレポートである。
本ブログ上でも、このレポートを全文公開してほしいとの希望があり、公開させて頂きます。
(ここのところ多数、寄せられる質問メールや、より詳細レポートの公表を希望する声に答えるものとします。)



日本は原発を国家管理下に置くべし


                           (2011年4月12日発表論文)

要旨: 
(1) 長期的には日本は脱原発を目指すべきである。
 その理由は現行の原発の安全性を含む総合コストが高すぎるからである。

(2) しかし、原発を即時、全面廃棄する事は国の現状から見て不可能である。
 それ故に、安全性を最優先して確保する為に、全ての原子力発電所を直接国家管理下に置くべきである。

(3) 直接、国家管理下に置く場合、原発の担当は「防衛省=陸上自衛隊」にすべきである。

(4) 日本の文化と伝統を大事に思う日本国民の方々に考えて頂きたい事がある。
 それは、皇居に、そして皇族の方々の頭上に死の灰を降らせるような事があっては絶対にならないという事である。

(5) 福島原発事件に対して、日本政府は、全く有効な危機管理が出来なかった。
これは民主党政権が無能であるからばかりではない。
戦後の日本が主権国家たりえていないという、根本的な欠陥が、この原発事故問題で明らかになったのである。

(6) 国家の原発管理は、日本が主権国家として再生する機縁を与えるものである。


本文:

 3月11日以来の福島原発事故で露呈したように、原子力発電所は、災害に見舞われたり、1つ取り扱いを誤まれば、巨大な被害が発生する極めて危険な技術である。
筆者は「核分裂に基礎を置く現行の原子炉は、これを廃絶して、新次元のテクノロジーに移行すべし」という意味での脱原発の主張者である。
 この「脱原発論」の内容は、別に論ずるとして、現行の原発を即時全面廃棄できないことは、日本のエネルギー供給状況を見れば、火を見るよりも明らかである。
近年、原発は日本の電力供給の約25-30%を占めてきた。
そこで提案したいのが、国家による原子力発電所の直接管理である。

 以下にその理由を詳しく述べたい。


(1) 営利最優先から安全最優先へ
 福島第一原発の事故は、IAEAによってチェルノブイリ事故と同じ7段階レベル中の最高の第7レベルものであると4月12日に判定された。
福島原発事故は、スリーマイル・アイランド事故、チェルノブイリ事故と比べても地上先例のない原発事故であり、その最悪の点は、被害が未だ止まる事無く、被害が未だに拡大し続けている事である。
 この原発事故の第一次的な責任は勿論、東京電力にある。
同じ地震と津波に襲われながら、事故を起こさなかった東北電力の女川原発と比較した場合、東京電力の責任はより一層、明らかになるであろう。
しかも女川原発は、震源地により近かったのである。福島原発がもたらしているのは、直接の健康被害だけにはとどまらない。

a. 農業被害
b. 漁業被害
c. 停電による経済被害
d. 避難民の経済的被害(地域共同体そのものの放棄も含む)
e. 海洋汚染
f. 大気汚染

 以上の様な、被害が既に起きてしまっており、更に拡大中である。
東電が日本の国民経済にもたらした損害は既に兆円の単位を超えているであろう。
そしてこの被害はこれからも拡大しつつある。
また東電は国民経済に被害をもたらしたばかりではなく、海洋と大気の汚染を通じて、人類全体にも被害を及ぼしている。
この責任が厳格に追及されなければならないのはいうまでもない。

 現在既に、原発事故のもたらした損害は、東京電力1社が補償する事の出来ないレベルにまで拡大している。
最終的には国家そのものが損害の補償をしなければならないであろう。

 改めて思えば、事故を起こした場合、第一に、その事故の解決をする能力が無く、第二にその事故のもたらした損害を補償する能力のない企業が原発を運営していたのである。

 これがそもそもの原子力発電に関わる仕組みの間違いであろう。
原発は、先ず企業のビジネス・モデルとして破綻してしまった事を明確に、我々は認識しなければならない。
それ故に今後は、1民間企業の管理を離れて、国家が原発を直接、管理しなければならないのである。

 今回の事故が起きた原因の根本のところに、東電の営利第一主義が存在する。
現在の日本には原子力翼賛体制、ないし原子力マフィアとでも呼ぶべき体制が存在し、これが「原発安全神話」という幻想を国民に広めて来た。
電力会社が原発を推進する理由は単純明快であり、それが「儲かるから」である。
つまり営利第一主義である。
原発から生ずる厖大な利益をバラマキ、これによってマスコミは原発安全神話を垂れ流し、多くの学者は研究資金の供与などによって買収されて来た。
政治家も地域振興の目玉商品として、原発誘致に奔走し、原発の振りまく利益は地域経済も潤してきた。

電力会社はそもそも地域独占であり、競争の存在しない企業であるから、マスコミを通じて宣伝する必要は全くない。
にも関わらず、我々が膨大な量の電力会社の宣伝を目にし、耳にするのは何故であろうか。
以前から言われてきた事だが、カラクリは単純であり、いざという時の原発事故をより小さく報道してもらう為である。
この為に電力会社は厖大な掴み金をマスコミ業界全体にバラ撒いているのである。
社会科学系・技術系を問わず、多くの文化人・知識人もこの原発ネットワークに絡め捕られている。
特に、保守派の言論人などは「原発賛成派」ないし「容認派」でなければその活躍の場が著しく狭められてしまうというのが、マスコミと言論界の現実であり続けて来た。

 保守派の言論人の間では、現在のマスコミの反日リベラル志向と民主党政権の情報隠蔽体質への批判が一般的傾向であった。
しかし、福島原発事故以来、マスコミと民主党の情報操作に非を鳴らしてきた保守派の言論人が、こぞって手のひらを返したように、原発擁護派となり、原発翼賛体制支持に回ってしまったのは誠に奇怪としか言いようのない出来事であった。
NHKを批判し、マスコミを批判し、民主党政権を批判して来た保守派と自称する人々が、NHKとマスコミと民主党が繰り出す情報操作の津波に浚われてしまったのは悲劇を通り越した喜劇ですらあった。
原発批判の言論、そして事実を指摘する情報は「国民の不安をあおる」の一言のもとに葬り去られてしまった。
マスコミ批判や民主党政権批判を、寧ろ「彼らが不安を煽り過ぎる」といった視点から行なう保守派まで出現し、今や「原発真理教」という新カルトが誕生したかの感さえある。

 全ての原発推進派の人々が原子力マフィアに買収されているとは言わない。
中には何やら勘違いをして「愛国者は原発推進者でなければならぬ」と誤解してしまった人もいるだろう。
しかしマスコミに厳として打ち立てられた原発翼賛体制を支えてきたのは、まごうかたなく原発が生み出す厖大な利益である。
この利益をバラ撒く事によって、政界も財界も地域社会もマスコミも、文化人・知識人もいいように買収されてきたのだ。
この買収資金は勿論、原発がもたらす莫大な利益の一部である。

 東電は何故、原発を推進して来たのかと言えば、単純に言って、それが儲かるからである。
安全を第二に、営利を第一にしてきたから今日の原発体制が存在するのであり、福島原発事故が起きたのである。
事故が起きた後では、原発の安全管理が盤石でなかった事は誰の目にも明らかである。
安全性対策は、営利主義との関係において決定される。
どの程度の地震が起き、どの程度の津波が襲来するかを決定するのは、最終的には電力会社の経営者である。
マグニチュード8.5の地震を想定するか、マグニチュード9.1の地震を想定するかは、経営者の経営判断に任されている。
過去100年間にマグニチュード8程度の地震しか起きていないとすれば、マグニチュード8.5の想定で十分と考えるのが、経営者の合理性である。
しかし1000年に一度、マグニチュード9クラスの地震が起きる可能性があれば、それに対応できる安全な原発を創るというのが、安全性第一の実践である。
より安全な原発は、より高価な原発である。
即ちより採算性の悪い原発である。
即ち営利の確保を優先させつつ、「このくらいでよいだろう」という思惑で行なってきたのが現在までの原発の安全対策であった。
より安全な原発を求めれば、原発の建設、そして運用コストは当然、上昇する。
つまり安全対策を最優先で強化すれば、原発はビジネスとしては成立しなくなるのである。

 そもそも電力会社は、自由競争を除外されている。
それは、電力の安定供給が優先されるからである。
自由競争から除外される代わりに、国民に安定した電力を供給するというのが電力会社の使命である。
別の謂い方をすれば、電力を安定供給するという目的の為に、独占事業体という特権的地位を与えられているのである。
事故の原因に関する追及はともかくとして、結果として東京電力が電力の安定供給を出来なかったのは事実である。
東電は、独占的立場を与えられたにも関わらず、国民への安定供給という公約を守れなかったのであるから、その責任は誠に重大であると言わなければならない。
これに加えて、事故が生み出した様々な被害へのコスト負担も基本的には東京電力が責任を負うべきものである。
今回の地震や津波にも耐えうる原発を作っていれば、更なる費用が必要であったろう。
しかし、その費用は電力消費者に上乗せできるのが、独占事業体としての電力会社の特権である。
にも関わらず、それを行なわなかったというのは、全てこれ東京電力の責任である。
様々な被害をさておいても、電力供給不足がもたらした経済的な第二次被害だけでも、厖大なものがあり、中には倒産を余儀なくさせられる企業も発生している。
更に被害の総コストを考えた場合、日本国民は東京電力を事実上、破産させ、経営陣の責任は徹底的に国民が追求しなければならない。
少なくとも、現在の取締役全員の首の挿げ替えは必要である。
ちなみに現在の取締役の中には原子力発電の専門家は一人もいない。


(2) 原発のコストは国民全体で負担するしかない

 原発の安全に関しては様々な議論がされているが、筆者としては以下の2点を強調しておきたい。

先ず第一に、原発事故のもたらす災害の巨大さである。
一旦、原発事故が起きれば、一地域、場合によっては、一国全体を破壊してしまう可能性がある。被害者の数も一挙に100万人単位に及んでしまう。

 例えば水力発電所にしろ、火力発電所にしろ、最悪の事故が起きた場合でも、その災害の程度は知れている。
飛行機は偶に墜落するものであるが、旅客機が墜落しても、その被害者は旅客機の乗客と乗員の全員でしかない。
たまさか墜落地点が人口密集地帯であったとしても、墜落事故に巻き込まれる人の数は限定されている。
ところが原発においては全くそうではない。

 スリーマイル・アイランド事故の場合、避難民の総数は100万人に及んでいるし、チェルノブイリ事故の場合、被害地域は600キロメートル圏に及び、健康被害者の総数は数十万人と言われている。
つまり大事故の場合の被害の巨大さは、原発の場合、まさにカタストロフィー(破局)という言葉が最も適切である。
今回の福島原発の場合でも、事故が最悪のコースを辿っていれば、首都圏全体が高度の放射能汚染地域となり、東北地方と首都圏は長期に渡って、人間の住む事の出来ない環境となっていたであろう。

 福島原発事故は、現在も拡大中ではあるが、この程度で済んでいるからと言って、タカをくくっている事は許されない。
危険なものを扱う場合、常に最悪の事態を想定して我々は行動しなければならない。

 原発事故が起きた時に、多くの欧米人が近隣地域は元より、首都圏からも避難した。
遠くは外国へ、あるいは日本国内では、関西地域より西に移動した。
彼らの行動原理は明確である。
第一に、彼らは日本の民主党政権の発表を信用しなかったし、第二に最悪の事態を想定して行動したのである。
日本人の大部分は、最悪の事態を想定して行動したのではなく、事故が大きくならないであろう、という希望的観測に従って、行動したのである。
日本人の弱点である「集団志向」と「付和雷同性」、つまり「空気」によって動かされる国民性からして、もしこの希望的観測が崩れていれば、全ての人間が一挙にパニックに陥っていたであろう。
国民の多くは、科学的知識に裏付けられた確信があるから避難しなかったのではなく、政府とマスコミの情報操作によって「安全だ」と思わされて避難しなかったのである。
空気に流されていただけである。最悪の事態を想定して、自主的に行動していた訳ではない。その証拠に、首都圏のみならず、買い溜め行動が頻発している。
これは自分の周辺の人間が買い溜めに走ったのを見て、自分も同様の行動に従った訳であり、空気に流される日本人の行動様式を最もよくあらわしている。

 ともかくも、こういった行動様式は原発のように安全第一でなければならない技術を扱う際には全く適していない。
最悪の事態を想定して行動するという原理を、我々は原発に関しては採用しなければならない。


 原発の安全性に関して強調したい第二の点は、日本の地理的特性である。
それは、地震が多く、津波が発生するようなお国柄であるという事である。
世界の地震の2割が日本列島で起こると言われており、この列島に50機以上の原子炉を並べて暮らしている事の問題点である。
地震のないフランスやドイツ、そしてアメリカのテキサスの大平原や東部に原発を作るのと、日本列島に原発を作るのとでは、全くその安全性に関する意味が違ってくる。
原発は、地震や津波のような自然災害がなく、テロのような人災もなく、マニュアル通りに操作されているならば、それが安全である事は確かである。
チェルノブイリとスリーマイル・アイランドは、原発を操作する側の誤りから発生したものである。
その点で、原発事体は安全性を十分に考慮されて設計されている、という設計者の言葉には確かに頷ける。
しかし日本列島では地震は頻発するものであり、日本列島上の如何なる地点でも、いつでも大地震は起きる可能性がある。
テキサスの大平原のような訳にはゆかないのである。
当然、置かれる地理的条件によって原発のもつ安全性の度合いは変わって来る。
残念ながら日本列島は、原発を設置するには適した地理的条件を満たしていない。
筆者は何も、世界中で原発を停止しろと主張しているわけではない。
大地震が頻発するこの国においては、原発は適切な発電方法ではないと主張しているだけである。
それでも、電力供給の1手段として原発が当面必要であるというならば、そのコストは国民全体で負担しなければならないであろう。
国民全体で負担するとは即ち、原発を国家管理下に置くという事である。
原発を国家管理下に置いて初めて、採算性を第一にするのではなく、あくまで最悪の事態を想定した安全性を第一として建設し操業する事が可能となる。
電力会社は公共事業を営むと言いながら、私企業体である。
私企業体である以上、経営のボトムラインは利益追求である。
またそうでなければならないはずである。
それを考慮すれば、原発はそもそも、日本においては私企業体に運営を任せるのには適していない発電方法である。

原発を国家管理とする場合、どの省に担当させるべきであろうか。
一般的には経済産業省が考えられるが、福島原発事故で表れた経産省保安院の体たらくをみれば、国民の誰も経産省に原発運営を任せたいとは思わないであろう。
経済産業省も原発翼賛体制の一部なのであるから、この省に原発の運営を任せる事は出来ない。
危険な施設の管理は危険物取扱いの専門家集団に任せるべきである。
危険物取扱の最も優れた専門家集団は、軍である。

 防衛省に原発の運営管理を任せる事が最も適切であろうし、自衛隊の中では、陸上自衛隊が最もこの任務に適しているであろう。
勿論その為には防衛省・陸上自衛隊の中に、専門家を養成する必要がある。
特に、アメリカのエネルギー省・国防総省・軍隊との協力のもとに、専門家を育てる事は不可欠である。
しかし専門家を外部から雇い入れる事も考えれば、陸上自衛隊が、その能力を持つ事は何ら難しい事ではない。

 今回の福島原発事故においても、筆者は当初から、事故全体の処理が出来る組織は、米軍しかないと主張してきた。
米軍は、原発事故は勿論、小規模の核戦争の戦場処理も想定しており、それを担当する専門部隊も存在する。
核兵器を保有している以上、自らが核爆発被害の被害者となる事も想定して、米軍はそれに対応する部隊を設置して来た。
原発事故の処理を任せる事が出来るのは、日本国の組織においては、防衛省・自衛隊しか存在しない。
自衛隊にそのような機能を付加し、原発の運営管理に責任を持たせる事が、福島原発事故のような災害を繰り返さない唯一の国家的方策である。

 思えば、東京電力は、そして日本の原発メーカーは、自分で起こした事故の解決が出来ないような無責任な存在でしかなかった。
日本政府もまた、原発を必要不可欠な電力供給源と位置付けながら、万が一の事故が起きた場合の事故処理を出来る能力を全く育てて来なかった。
「原発安全神話」の陰に隠れて、万が一の事故が起きた場合の事故処理については、全く無能力かつ無責任であり続けて来た訳である。
これは東京電力や原発メーカーのみを責めてよい問題ではない。
まさにここに第二次大戦後の日本が「国家」ではない、という現実が最も如実に表れている。
筆者のかつての著作のタイトルを用いていうならば『国家なき国ニッポン』の悲劇がここに露呈している。
戦後の占領状態の延長線上にあり、主権国家体制が未整備であるがゆえに、危機管理が出来ないのである。

 「国家」とは本来、想定外の危機に対処する為に行動する主体である。
想定内の事態しか起きないのであれば、行政だけで十分である。
政治的決断が求められるのは、常に有事の危機的状況においてである。
そのような国家全体の存亡が危うくされる危機を想定しないというのが、戦後日本の堕落であり、悲劇でもある。危機を想定しない以上、危機管理が出来ないのは、当然の結果である。
現行の日本国憲法の欠点は、何も憲法九条だけではない。
戒厳令のような非常事態条項が無い事も又、この憲法の大きな構造的欠陥の1つである。

 このように考えれば、原発事故対策には、戦後国家体制の不備という問題が最も露骨な形で表れているとも言えるのである。

 自衛隊に原発管理をさせるとは、即ち、日本が本来の主権国家としてのありようを取り戻すという事でもある。
国家として危機管理の意志と能力を回復しうる時にのみ、日本人は原発という危険な存在をコントロールできる可能性がある。

 筆者が、世界の人々に対して恥ずかしく思うのは、日本がハイテク大国だと言われ、これほど原発を作っておきながら、今回の事故には全く有効に対処できなかったという悲しい現実である。
日本は、国家として一人前ではないし、日本人は自らの犯した過ちを自ら正す事が出来ない程に愚かな存在であったのである。
この事は、誰に謂われるよりも先に日本人が覚醒をして猛反省をしなければならない。
世界の国々やIAEAに代表される国際機関の多くは、日本政府(菅政権)の発表を信用していないし、その危機管理の無能のは、世界から軽蔑されてさえいる。日本の信用はガタ落ちなのである。
日本のハイテク製品の信用も大きく傷つけられてしまった。


 そもそも原発は危険なものである。
では何故、その危険なものを使わざるを得ないのかと言えば、それは日本国家の電力供給の安定の為に、発電方式を多様化しておくためである。
現在の電力会社は原発が利益を生むからこれを推進して来たのであるが、そもそもこれは国策としては全くの誤りである。
後で説明するように、原発はその高濃度廃棄物も含めれば総合的コストは膨大であり、決して儲かる筋合いのものではない。
子孫にも大きな負担を強いる事になる。
にも関わらず、当面、原発が必要である理由は、電力供給源を分散し、安定化させる為である。

 電力に限らずエネルギー問題は、安定供給こそが最も重要であり、コスト面は第二義的重要性しかもたない。
これは経済の国家的運営を考えた場合には当然の結論である。
私企業レベルで見れば、コストの問題が第一であるが、国家的レベルで見れば、安定供給こそが第一の課題である。
つまり、原発というものは原理的に言って、儲かるからやるものではなく、国家的必要から推進すべきものなのである。
特に、これといった自然資源をもたないにも関わらず、製造業を中心として経済大国となった日本としては、エネルギー供給の安定は国家の安定と発展の為の必要不可欠の条件である。
それ故に、様々なマイナス因子をもつにも関わらず、日本は原発の建設を進めたはずである。

 そのような国家としての苦渋の選択を一切、国民に忘れさせ、国民を愚者の幻想におぼれさせるものが「原発絶対安全神話」であった。
絶対安全でない事を前提として、まして地震大国日本においては本来危険である事を前提とて、原発を推進しなければならなかったのである。
万が一、事故が起きた場合の危険性を国民に周知徹底させ、近隣住民の避難訓練も最低年に1度くらいは行ない、その上で原発を推進すべきであったはずである。
原発は危険極まりない巨大技術であるが、国家の安定と経済の発展の為に、必要な存在である事を国民の全体が納得した上で、進めなければならなかったはずである。
ところが日本国政府も電力会社もこの点を全く国民の目から誤魔化して原発を推進して来た。勿論、これには左翼リベラル派のヒステリックな反原発運動という、これまた国家的視点を全く否定した運動があった事も事実ではある。
日本の既存の反原発運動は、反体制・反国家の為の感情的な原発否定運動であった。
原発問題を通じて、国家や社会の絆を破壊しようとするのが彼らの運動の本質であった。
この為、原発推進派と原発反対派の不毛の激論が続けられてきた。
原発推進派は原発の本来の危険性を全く隠蔽し、絶対安全神話で国民の耳目を誤魔化し続けて来た。
原発反対派はエネルギー安定供給の事などは全く無視して、本質的問題もさることながら危険性を針小棒大に吹聴し、また小さなアクシデント等の枝葉末節まであげつらって、原発反対を反体制運動に利用して来たのである。

 日本国民は最早、こういった不毛の二項対立と教条主義(ドグマティズム)の対決から卒業すべき時である。

 国民に定期的な避難訓練を求めるような、危険性を前提としての原発運営が出来ないというならば、日本国民は原発を運営する能力のない国民であると言わなければならない。
危険を前提としたのでは原発の建設も運営も出来ないのであれば、日本人は原発を諦めるしかない。
原発を維持するというのであれば、あくまでも「原発は危険なものではあるが、その危険を承知の上で、総合的な国益の観点から、敢えてそれを運営するのである」という覚悟が必要である。

 福島原発事故に対して、菅民主党政権が全く危機管理が出来なかったという事は周知の事実である。
民主党政権の反国家的性格と菅首相個人の無能力の故に、危機への対処が稚拙を極めたという点は確かに存在するが、一方、この問題が日本の戦後国家体制の不備から生じて来たという点も否定する事は出来ない。
敗戦後の被占領状態を克服しえず、一人前の主権国家足り得なかった戦後の政治体制の弱点が、今回の国家的危機によって極めて露骨な形で国民の目に曝されたのである。

 戦後の経済至上主義は、この半主権国家状態と硬貨の両面のように一体となってきた。
国家の自立と防衛を第一義とせず、経済価値のみを偏重して来た戦後のイビツな体制こそが、今回の福島原発事故に対する危機管理が不在の、最も根源的な原因である。
戦後体制のこの醜悪なまでのイビツさを批判して来た人々は、今こそ、声をあげて事故の根本的原因となった戦後体制の欠陥と拝金主義を批判しなければならないであろう。
ところが、戦後体制の非を鳴らしてきた人々の一部が、原発翼賛体制というまさに戦後体制の現状維持を主張し、原発事故に露呈された所の戦後体制の欠陥を批判しないのは、如何なる故であろうか。
その真意はともかく、彼らの一貫性の欠如だけは指摘しておかなければならない。
危機管理が不可能であったのは、主権国家体制が不備であったからである。
この点を明確に認識しなければ、何ら前向きの方策を論ずる事は出来ないであろう。

 国家の直接管理下に置いたからといって、原発の安全性が自動的に保証される訳では全くない。
チェルノブイリ事故は、ソ連の国家管理下で起きた。
ソ連官僚主義の機能不全が引き起こした巨大事故であった。
防衛省管理下の原発を監視する為に、国家の別機関である原子力規制委員会のような存在が、常に安全性を厳しくチェックしてゆく仕組みが必要である事は言う迄もない。

 原発に厳しい目を向ける民間人を中心に構成されてこそ、規制委員会はその本来の役割を果たす事ができる。
情報の公開と透明性を確保する為には、憎まれ役としてのチェック機関が必要なのである。
現在の原発翼賛体制の問題は、関係者が全てファミリーとなってしまい、第三者によるチェック機能が働かない事であった。


 日本国の文化と伝統を大事に思う日本国民の皆さんに、深く考えて頂かなければならない事がある。
それは、皇居に、そして皇族の方々の頭上に死の灰を降らせるような事は、絶対あってはならないという事である。
愛国者や保守派を自認するならば、この事だけは肝に銘じておかなければならない。

 日本列島は、我々が先祖から受け継ぎ、子孫へと伝えてゆかねばならない、日本民族という生命体の一部である。
大規模な原発事故は、この日本列島を半永久的に汚染してしまう、民族の未来への犯罪である。
原発推進派の心の根底にあるのは、日本列島の自然を単に「モノ」としか見ない唯物論であり、自らの世代の物質的繁栄を至上と考える拝金主義なのではないだろうか。


 
(3) 原発はエネルギー自立には役立たない:実用化近い新エネルギー開発に力を!

 エネルギー、特に電力の安定供給の為に、ある程度、貢献して来た原発ではあるが、根源的に考えた場合、実は原発は日本国家のエネルギー自立には殆ど貢献していない。

 先ず、原発の燃料であるウランは日本国内では殆ど採取されない。
日本はウラン燃料を、外国からの輸入に依存しており、その点では石油の外国依存と全く変わりはないのである。
加えて、わが国は、ウラン鉱石を燃料化する為の独自の濃縮施設を保有できないでいる。
日本にも濃縮施設は存在するが、IAEAの厳格な監視下に置かれている。
何故なら濃縮技術は即、核武装に繋がるからである。
日本は、核拡散防止条約に入り、核武装をしないという前提条件で、原子力発電を許されているのである。
日本の原発施設全体は、日本が核武装をしないように、IAEAの厳格な監督下にある。

 何故、我々が国家のエネルギー自立に配慮しなければならないのかと言えば、国家の政治的自立(自己決定能力と言い換えてもよいが)を可能にする土台が経済的自立であり、この経済的自立を成り立たせている大きな柱がエネルギー自立だからである。

 国家経済が必要とするエネルギーを自主的に調達できない国家は、如何なる思想やイデオロギーを振り回しても、政治的に自立する事は出来ない。
大東亜戦争敗戦に至る日本の悲劇はこの事を最もよく物語っている。
大東亜戦争は石油禁輸にはじまり、石油の枯渇によって敗戦に至ったと言っても過言ではない。

 戦後の日本も工業国家として発展しながらも、そのエネルギー供給は原油を始めとして圧倒的な比率で外国からの輸入に依存して来た。
この中で、エネルギー供給源を多様化する必要から、電力生産の選択肢の一つとして原発が育成されたのではあるが、実はその燃料は外国に依存し続けて来たのである。
原発は国内には存在するが、その燃料は外国からの輸入である。
これでは外国から輸入した原油で発電している火力発電所と全く変わりはない。

 原発の場合、日本は優れた原子炉製造技術を持っている。
この点の技術的優位が日本のエネルギー自立になにがしかの貢献を成しているのは事実ではあるが、日本はアメリカ・カナダ・オーストラリア等のウラン産出国に依存するのは勿論、潜在的な敵対国であるロシアからすらもウラン燃料を輸入しているのである。
原発もまた、日本のエネルギー自立を支える技術ではないという事を自覚しておかなければならない。

 原発が自立的エネルギーとなれない第二の理由は、その高濃度の放射性廃棄物の処理の仕方が決定していない事である。
原子炉が排出する放射性廃棄物は、現在国内では六ヶ所村に貯蔵されているが、この六ヶ所村も最終処分場ではない。
つまり暫定的な処分場に過ぎない。
原子炉の廃棄物である高濃度放射性物質であるプルトニウムを中心とする「核のゴミ」をどのように処分するかについては、その処理方法が全く未定なのである。
実は日本は、初期の原発で生じた核廃棄物をフランス等の外国に貯蔵してもらってきたが、最早それらの廃棄物の貯蔵期限が過ぎて、日本国内に再輸送しなければならない羽目に陥っている。

 半減期が一万年単位の放射性物質を長期に安定的に保存する場所は、世界的にも限られている。
今のところ、高濃度放射性廃棄物の最終処分場は、地球上にたった1か所、スウェーデン国内にしか存在しない。
地震列島日本においては、半永久的に安定した地盤は存在せず、国内における最終的な処分場を確定する事は殆ど不可能である。
これには勿論、当該地域住民の政治的反対という社会的な要素も介在するが、原理的に日本にはそのような半永久的な安定地盤が存在しないのである。
存在したところで、高濃度放射能の管理は半永久的でなければならないので、我々の子孫に非常に大きな負担を残す事になる。

 我々の世代が安価な電力を使い放題にするそのコストを、子孫たちが負担しなければならない事になる。
これは赤字国債等の発行など問題にならないぐらいの、未来の日本国民に対する負担の強要である。
我々の世代のエゴイズムは許されない。

 ウランを燃焼させて発生するプルトニウム自体を更に燃料として利用しようというのが高速増殖炉計画であり、プルサーマル計画であった。
高速増殖炉に関しては、各国とも先進技術として研究はしてきたが、その実用化の見通しは未だ全く立っていない。
日本においては、原子炉「もんじゅ」が事故による長い閉鎖の後、この実験を再開し、再び事故を起こして今や原子炉は停止状態にある。
(停止状態ではあるが危険な状態が続いている。)

 福島第一原発第3号炉では、プルサーマル計画が実行されており、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料なるものが使用されていたが、今回の事故でそれも挫折してしまった。
こうなると、ウランを燃焼させる事によって一方的に蓄積されてゆくプルトニウムの処理が益々困難になってくる。
最終処分場も定まらないまま、プルトニウムに代表される高濃度廃棄物がドンドン蓄積されて来る状態では、とても原発を安定エネルギー源として発展させてゆく事は出来ない。

 また、処分の最終方法と処理場が定まっていないばかりではなく、経済的に考えても半永久的に発生し続けてゆく高濃度廃棄物の処理コストを考えれば、原発は経済的にも決して儲かるものでもペイするものでもない事が分かる。
原発が一見儲かる存在であり続けていたのは、営利性を優先させ、建設と運営において安全性をある程度、犠牲にし、かつ最終処理コストをバランスシートから意図的に除外して来た為である。

 更に原発のコストを考える場合、忘れてはならないのがテロという人災がもたらすコストである。
日本に敵対する国家ないしテロリスト集団が、日本の原発を攻撃すれば、チェルノブイリのような、あるいはそれ以上の事故を起こす事は容易である。
特に、日本海沿いにあるいくつもの原発は、北朝鮮の脅威に限定して考えても、極めて脆弱である。
北朝鮮の特殊部隊が、海上の小さな艦船から原発にミサイル攻撃を仕掛ける事も出来るし、特殊部隊が上陸し、原発を短期間占拠して、事故を起こさせる事も可能である。
チャイナやロシアのミサイルが原発に命中すれば、日本への核爆弾投下に等しい効果を生む事になる。
日本の原発建設に関しては、このような外敵が引き起こす危険の問題は、全く考慮されていない。
この為にも、原子炉の運営管理は防衛省が行なわなければならないのである。
一民間会社が経営し、警察が警備しているような現状では、テロリストの侵入や攻撃を防ぐ事は殆ど不可能である。
こういった文脈で考えると、憲法九条という非武装主義と原発推進は最悪の組合わせである。

 現行の原発翼賛体制が、新しいエネルギー技術開発を阻止している側面も最後に指摘しておかなければならない。

 現在のウランを燃焼させるタイプの原発は、巨大技術ではあるが、決してハイテクノロジーではなく、寧ろローテクノロジーである。
原理はウランを爆発させる広島型の原発を制御棒を使ってユックリ爆発させているだけである。
この爆発の熱源で水を蒸気に変え、蒸気タービンを使って発電しているのであり、熱源が原子炉であるという点を除けば、火力発電所と全く同じ原理で動いているに過ぎない。
現在の原子炉は、主にアメリカで第二次大戦直後に完成された旧いローテクである。

また、日本では、このローテクに磨きをかけはしたものの、本来25年で廃炉にする予定のものを40年以上も使ったりするものだから、余計に事故が起きやすくなっている。
25年使用して、減価償却が済んだ原子炉は、長く使えば使う程、電力会社にとっては、面白い程、利益の上がる仕組みとなるので、危険度が上昇する事を承知しながらも、もう5年、もう10年と使い続けて来たというのが実態である。
原子炉自体の設計に関しても、もっと安全な進んだ技術が開発されており、これらを導入してこなかったのは、第一義的には営利優先の電力会社の責任である。

 原子力発電に関する新しい技術という事であれば、筆者は全く次元の異なるトリウム原子炉や常温核融合が大きな可能性を持っていると考えている。
代案なくして、反原発を訴えるのは無責任である。
トリウム原子炉に関して言えば、高濃度の放射性廃棄物が少なく、核兵器の拡散も抑止しながら、より安全に運転できる技術として注目されている。
日本でも一部で先進的な研究が進められてきたが、現行の原子炉体制に安住する電力会社経営陣は、これに一顧だに与えず、全く無視して来た。

 核融合原子炉は、現行の核分裂を基礎とする原子炉とは全く次元の異なった真の夢のテクノロジーである。
日本も参加している国際的な核融合研究所はフランスに存在し、現在も研究は進行している。
これは水素原子を燃焼させてヘリウムを作る際に発散するエネルギーを利用するものであり、水素爆弾の原理と同じである。
また、この原理は太陽が燃焼する原理と同じであり、核融合は、地球上において人間が自在にコントロールできる太陽エネルギーを手に入れる事に等しい。
これは又、放射性廃棄物の生じないクリーン・エネルギーでもあるが、核融合のコントロールは極めて難しく、現在の研究の方向性では、実用化の目処は全くたっていない。
太陽の表面温度は6000度であるから、地球上に太陽エネルギーを作り出す核融合原子炉の実用化が如何に危険であり、又、困難であるかは十分に想像できる。

 そこで、常温で核融合を起こす事の出来る常温核融合の研究が行なわれている。アメリカの科学者が常温核融合を実験室で実現したと発表し、これは科学界でも一時的に話題にはなったが、その後、この発見は「ゲテモノ」扱いされて、現在の科学の世界では白眼視されてきた。
しかし、筆者の知るところ、日本の民間で常温核融合技術の開発は着々と進められてきており、今や数百億円程度の技術開発費を投ずれば、実験プラントが建設可能なところまで到達している。
この情報の真偽を疑われる方もいる事だろうが、少なくとも日本の民間で、このような技術開発が着実に行なわれているにも関わらず、電力会社はこのような新しい技術の可能性を全く無視ないし敵視してきた。
現行の原発翼賛体制の中で、汚れた利益をむさぼる原発マフィア達からすれば、現在の原子炉よりも、安全で安価な原子炉は、無用なものであり、無用なものである以上に、彼らの利益を脅かす危険なものですらある。
多くの専門家が同意しているように、現在のウランの核分裂に基づく原子力発電は、どう控えめに見ても、過渡的なつまり橋渡し的なテクノロジーでしかなく、究極のエネルギー源としては、核融合が想定されているにも関わらず、原発マフィアはこの事実を全く隠蔽してきた。
本来、原発が生み出す利益は彼ら自身の懐を潤す為や、マスコミと世論対策費に使われるべきものではなく、常温核融合のような真に革新的な技術開発に向けられるべきものである。
これを行なわないのみならず、トリウム原子炉や常温核融合技術を寧ろ、潰そうとしてきた電力会社経営陣の責任は誠に重大であると言わなければならない。



(4) 電力不足、CO2規制、そして配電網の開放自由化はどの程度、行なうべきか

 筆者は、全ての原発を全面的にただちに停止しろとは主張しないが、少なくとも中部電力の浜岡原発のような、予測される東海地震の震源地に極めて近い所にある原発や、活断層の上に設置されている事が明白な原発は、計画的に停止すべきものと考える。
新エネルギー源を含む、代替の電力設備が準備されるのに応じて、徐々に日本は脱原発の方向に向かうべきである。
新エネルギー源には勿論、上述のようなトリウム原子炉や常温核融合の可能性も含まれる。
無論、既に実用化されている様々な循環可能な電力源の開発も含まれる。

 このような方向に進んだ場合、果たして日本の電力は不足するのだろうか。
現在、火力発電所の発電能力は6割程しか使われておらず、CO2排出の問題さえクリアできれば、火力発電所がフル稼働すれば、日本国の発電能力自体には全く問題はない。
2006年度の日本国の総発電量は1兆1611億kWh(キロワットアワー)であり、その内、原発による発電が約26%を占めていた。(2005年度の日本の第一次エネルギー供給全体の中で、原子力発電の占める比率は11.2%である。)
原発分を差し引くと、約8600億kWhであり、これは1990年の日本の発電量とほぼ同量である。
電力使用の中の民生用(家庭用)は総発電量の約3分の1と言われている。
ところが1990年以来の電力の増加分には、電力会社の売上増加の為に進められてきた電力消費も多い事は明白である。
台所のオール電化や床暖房などは、その一例であり、ガスによる調理を電気に変えれば、台所はクリーンになるかもしれないが、電力消費量は確実に増大する。
電力供給に余裕がある時には、経済産業省が音頭取りをしての都心や観光資源のライトアップも盛んに奨励されてきた。
冷蔵庫やテレビ等の個々の家電製品に関しては、節電化が進んでおり、1990年を基準にして、不必要な電気使用を合理的に節約すれば、さ程の不便は感じないで脱原発化を行なう事は可能である。


 最近では、電力の賢い使用の為のテクノロジーであるスマート・グリッドが注目を集めている。
電力供給においては、常にピーク時の発電量と電力使用量が問題になるが、工場の深夜や土日の操業等も考慮にいれ、社会全体として平均的な電力消費を進めれば、IT等を利用したスマート・グリッド(合理的な配電網)の利用と合わせて、社会全体の合理的な節電体制の構築が可能となる。
このような電力の消費サイドの合理化を議論せずに電力不足のみをあげつらうのは、盲目的な原発推進派が弄びたがる虚妄のレトリックである。

 火力発電所をフル操業しようとすれば、恐らくそこで最大の問題になってくるのはCO2の排出量である。
筆者は元より、CO2排出量の増大が地球温暖化の原因であるとする理論は、単なる仮説の1つとしてしか認識していない。
しかし残念ながら、現在の世界世論では、CO2原因論が多数派のようであり、日本も一定の対外公約をしてしまっている。
しかし、未曽有の大地震と津波によって引き起こされたレベル7の原発事故については、世界中の人々が知っており、この非常事態における日本への同情も広範に存在している。
日本政府としては、CO2削減の公約を、完全に反故にするとは言わないが、少なくとも棚上げにして、その実施を大幅に遅らせる事は可能である。
いや、そのような例外的措置を可能にする事こそが外交力であり、本来、政治家に与えられた使命でもある。

 日本が生産するキーパーツの供給が途絶えてしまった為に、世界的に甚大な経済的被害が生じている。
日本が供給する中枢的な部品なくしては、製品の製造自体が出来ない企業や工場が世界的に多数存在している。
日本のCO2排出への例外措置は、日本への同情からばかりではなく、これら日本企業からキーパーツの供給を受けている多くの外国企業や諸国民の利益そのものともなる。
それ故に、CO2規制の棚上げは、比較的容易であると考えられる。菅民主党政権には難しいかもしれないが、このような国益外交こそ本来、能力のある外交官や政治家が行なうべきものである。

 将来の日本国の電力供給体制を考える時、現在の九電力の独占体制を現状のまま維持してゆく事は考えられない。
九電力による独占的な体制が、現在の原発翼賛体制を生んできた一因だからである。
時代は送電網の開放による電力自由化の方向が世界的である事を示唆している。

 ところがこれには難しい問題が存在する。
送電網を開放し、電力の売買を自由化すれば、安くて豊富な電力が供給される、という程に物事は単純ではない。
我々はアメリカにおけるエンロン事件という巨大な企業詐欺事件を既に知っている。
送電網の開放と売買電の自由化によって、寡占的な体制を確立したエンロン社は、カリフォルニア州における架空の電力不足を演出するという違法行為により、巨大な不当利益を上げる事が出来た。
やはり電力のようなエネルギーに関しては、基本的には国家がその供給に責任を持つというのが原則でなければならない。

 ちなみに電力のみではなく、水道水の供給においても、いたずらな私企業化が発展途上国と言わず、先進国と言わず、多くの国の国民に甚大な被害を与えているという事実も存在する。
電力や水のような公共財の供給に関しては、基本的には国家が管理し、責任を持つという体制が、最良の選択である。
しかし、現行の九電独裁体制は、国家が責任をもつ体制ではなく、また自由競争が効率的に行なわれる体制でもない。
エンロン事件のような不祥事の再来を防ぐ為に、国家が公共の為の監視者として存在しながら、ある程度の電力自由化を進めるというのが最も現実的な選択肢である。
この中から安くて安全な電力供給の新しいテクノロジーも発達し、より効率的なスマート・グリッドも実用化してゆくであろう。

 未来において可能性のある1つの究極的なモデルは、水素を燃料とした燃料電池によるコジェネレーションによって、熱と電力の供給を小さな単位で行なうというモデルである。
つまり、1つのビルや1つの工場、あるいは一定の住宅地域が、燃料電池という発電システムを持ち、電力と熱の供給を全て賄うという構想である。
これが実現すれば、巨大な発電所は不要となり、社会の中に多元化した幾つもの小発電所が存在するネットワーク型の電力供給システムが生まれる。
それぞれの地域における電力の過不足はスマート・グリッドによって調整される。
燃料電池の最終的な廃棄物は、H2O(水)であり、CO2も排出しない。
問題は燃料の水素をどのようにして製造するか、であるが、その問題さえクリアされれば、燃料電池は電力供給のみならず、輸送機関や工場の動力源としても使用可能であり、安全でクリーンな水素社会が誕生する事になる。
これがエネルギー問題解決の究極形であるかどうかは未だ分からないが、そのような可能性が存在するのは確かである。

 このような様々な柔軟な電力を含むエネルギー供給の形を模索する事を、一切妨げているのが九電独裁体制であり、また原発翼賛体制なのである。
日本がこの体制に拘束され続けていれば、やがて世界の技術の進歩から大きく遅れを取ってしまう事は確実である。
その為にも、国家そのものが最終的な責任を取りながらも、ある程度の範囲内で規制緩和と自由競争を取り入れてゆくような電力供給体制に、我々は移行しなければならない。
その一環が、国家による原発の直接管理なのである。


 どうしても、現行の原発を維持したいというのであれば、筆者には1つのアイデアがある。
それは潜水艦の中に原子力発電所を作り、日本列島の周辺の深海に複数の原発潜水艦を配置する事である。
放射線のコントロールに最も有効なのは水であり、深海の水に囲まれた状態であれば、原子炉のコントロールは比較的行ないやすい。
万が一、事故が起きた場合でも、最低限の海洋汚染は避けられないが、大気中への放射性物質の拡散は回避する事が出来る。
海底においては、地震も津波も大きな衝撃を原子炉に与える事は出来ない。
海中で発電した電力をケーブルないし、その他の手段によって地上に供給する事は容易な事である。

 こういうと奇矯なアイデアを提示しているように思われるかもしれないが、実は、原発の実用化の過程を振り返れば、これは先祖帰りに過ぎない。
アメリカでGEやウェスティングハウスが開発した原発は、元来、原子力潜水艦の推進装置として開発された原子炉を、地上にあげて発電用としたものである。
アメリカにおいては、米海軍のリッコーバー提督が原子力推進による潜水艦という画期なアイデアの実用化に成功した。
長期に潜水を続ける必要のある潜水艦にとって、最も優れた動力源として原子炉を採用したのである。
乗組員の精神力と体力が許せば、原子力潜水艦は何年でも浮上せずに海中を運行する事が出来る。
第一号の原子力潜水艦にノーチラス号というH・G・ウェルズのSF由来の名前が付けられた事は良く知られている。
リッコーバー提督指揮下の原子力潜水艦開発プロジェクト・チームにいた若手の海軍将校の一人が、後にアメリカ大統領となるジミー・カーターであった。

 この原子力潜水艦の成功を見て、その原子炉部分のみを地上に設置し、発電所としたのがアメリカにおける原子力発電所の始まりである。
その点で、「原子力発電所・潜水艦」のアイデアは、原子炉の原点への復帰に過ぎないのである。
テロ対策としても、深海の潜水艦発電所は極めて有効であり、今後考えるべき1つのアイデアではあると思われる。



(5) 日本核武装との関係

 筆者は、日本核武装論者である。
日本が真の主権独立国家となる為には、日本の核武装が必要である、というのが筆者の信念である。
原発の防衛省管理は、将来の核武装の為の準備段階としても、極めて有効である。
しかし、筆者としては、日本の核武装に反対する人々にも、原発の国家管理の必要は認めて頂きたいと思っている。

 しかし敢えて言わせてもらうならば、核兵器を開発・管理し得る様な成熟した国家であって初めて、原発もまた安全に管理し得るのである。
憲法9条的な空想的平和主義では、原子炉の安全管理さえ不可能なのである。





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投稿日:2011,04,05

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★ 地震・大津波で被害に遭われた方々に、心よりのおくやみを申し上げます。
又、原発事故により、避難や屋内退避を余儀なくされた多くの方々にも、お見舞い申し上げます。



※ 以下は、前回・2011年3月21日に「日本経済大復興計画http://www.gemki-fujii.com/blog/2011/000719.htmlとして、本ブログで発表したものの具体的財源について補足するものである。
(質問メールや、より詳細レポートの公表を希望する声に答えるものとします。)
 尚、本文は、「CFGレポート3月号(P7)」より、一部抜粋の上、紹介するものとする。



▲政治家が柔軟に対応しさえすれば、復興の為の政府財源はいくらでも生み出す事が出来る。

その為には以下の様な手法がある。

(1) 日銀が特別財源の為の通貨を発行し、これを行政府(財務省)に贈与する。

(2) 日銀が、「無期限債(超長期債)」として国債を引き受け、政府に財源を与える。
 この場合、復興目的の無期限債に関しては、当然「無利子」とし、従来の国債のアカウントとは全く別の会計として扱う事とする。

(3) 上記のような形で日銀の協力が得られないとすれば、財務省が「通貨発行権」を行使し、「財務省紙幣(政府発行紙幣)」を独自に発行して、復興投資財源とする。
この場合、「5万円札」「10万円札」のような従来発行されてこなかった高額紙幣として発行する事が、日銀券との混乱を防ぐ為にも望ましいであろう。


 以上、3つの手段とも、国家のもつ通貨発行権を活用するものであり、インフレさえ起こさなければ、発行額については特に限界を設ける必要はない。

 需要不足によるデフレ不況に苦しんできた日本経済を一挙に活性化させるには、これらの手段のいずれかを実行するしかないであろう。



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日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!

投稿日:2011,03,21

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★ 地震・大津波で被害に遭われた方々に、心よりのおくやみを申し上げます。
又、原発事故により、避難や屋内退避を余儀なくされた多くの方々にも、お見舞い申し上げます。



要旨:
3・11東日本大震災・大津波・原発事故で、荒廃した日本経済を建て直す為に、以下の四大政策を提言する。

1.国家の通貨発行権を活用した、もしくは日銀の国債直接引き受けによる20兆円以上の大規模公共投資
2.円高阻止の協調介入の必要なし:短期の円高を利用し、必要資源を大量に調達せよ
3.東京一極集中から東日本と西日本の均衡ある発展を実現する国土計画
4.新エネルギー開発による段階的脱原発化


本文:

1. 国家の通貨発行権を活用した大規模公共投資

▲震災・津波・原発事故の2つの天災と1つの人災によって、東北地方は巨大な経済損害を受けた。このままに放置すれば、平成23年度のGDPは大きな落ち込みを記録する事になるだろう。
▲日本銀行による復興国債の直接引き受けが検討されているが、白川日銀総裁はこれに反対している。災害復興を目指す国家財政に必要な政策ではあるが、この手法では先行き財政的手詰まり状態に陥る事は明白である。
日銀引き受けではあるが、国家の借金が急膨張する訳であり、早くも与謝野大臣らの財政再建派が、日銀の大量国債引き受けに関して強力な反対の声をあげている。
▲国債の引き受け手が日銀という国家機関であるにしても、国債引き受けは確かに国家財政の帳簿上の赤字を増大させる。これは必ず時間差を経て増税の要求に結び付く。
これでは国家再建の為の大規模公共投資は不可能である。
▲この難問を解決する唯一の決定的な方法は、国家の通貨発行権を活用して、日銀が必要な額の通貨を発行し、この財源を行政府(財務省)に贈与する事である。(丹羽春喜先生の十年来の提案)
国家の通貨発行権を生かした大規模公共投資を行なえば、今年(2011年)後半には、GDPをプラス成長に転換する事が可能である。
▲そもそも通貨発行権は、国家に与えられた特権である。
国家の信用のもとに通貨が発行され、国民は国家を信頼するが故にその通貨を利用して経済活動を行なっている。
現在の国家組織の役割分担の中では、主に中央銀行である日本銀行が、通貨発行の役割を担っている。
しかし、日銀にのみ通貨発行権がある訳ではなく、行政府・財務省にも部分的に通貨発行権はあり、現在の500円玉以下の硬貨は、財務省の責任により発行されている。
 元々、国家に与えられた通貨発行権を日銀と財務省が共有しているのである。
大事な事は、通貨発行権は、日銀という一組織にのみ与えられた特権ではなく、本来、主権独立国家が保有している権利であり、組織上、これを主に統括しているのが日本銀行であるという当たり前の事実である。
▲日本銀行は、この国家の通貨発行権を活用し、10兆円単位の財源を創出し、これを行政府(財務省)に与え、これをもって国家経済復興の為の大公共投資を行なえば、財源は無制限に存在する。
恐らく10兆円では不十分であり、数年間、継続して、累積的には数十兆円の国家の通貨発行による公共投資が必要であろう。
▲行政府と日銀は、共に、主権国家を構成する二つの機関に過ぎない。
日銀が通貨を発行し、この財源を行政府に与えるというのは、右手が創ったものを、左手に与えるようなものである。日銀(右手)と行政府(左手)は共に国家(人体)の一部分である。
これを考えれば、震災復興資金を日銀が通貨発行によって賄うというのは極めて自然な、寧ろ当然成すべき政策である。
日銀による国債の直接引き受けでもよい。
▲このように考えれば、行政府が日銀に対して、国債を引き受けてもらい、借金をしているから、これを返済する為に国民に増税をしなければならないというのは、誠にバカげた考え方である。
これは、需要が供給を上回っているような国家においては、増税という形で国民の需要を減少させる為に必要な政策かもしれない。
しかし日本国においては、正に事態は逆であり、供給が需要を上回っているのであるから、通貨の信用を維持する為に、増税をする必要は存在しないのである。
▲極端な通貨発行がハイパーインフレにならない為の保障が日本国には存在する。
それは、公共投資に従って生じる厖大な需要に応えて行なう国民の生産活動である。
日本経済においてはそもそも、供給が需要を上回っており、このデフレ・ギャップ(供給マイナス需要)の為に、長期的な不況が発生していた。
 有効な需要さえ創出すれば、日本国民が本来の勤勉さを発揮し、生産活動に従事し、潜在的な供給力を現実の供給力に変える事によって、需給はバランス状態に入る。
つまり、インフレを起こす事無く不況を脱出する事が出来るのである。
インフレが発生するのは、需要に供給が結び付かない場合である。
日本国においてはそもそも供給力が過剰の為に生じた長期不況であったから、震災復興という巨大な需要を政府の公共投資で現実のものとしさえすれば、経済は力強く復活する事が出来る。
▲眼前に甚大な被害を受けた被災地が存在する。
そこには、復興の為の厖大な需要が存在する。
しかし民間の資金にのみ依存するならば、とてもこの復興を速やかに成し遂げる事は出来ない。
国家が大規模な公共投資を発動して初めて、速やかな災害からの復興が可能となる。
可能となるばかりではなく、それが新たな経済成長のエンジンとなり、21世紀後半に向けて、新しい日本の国の形を創る事も出来る。
 しかし、もし国家が表面上の財政困難を理由に、大規模公共投資を行なわないならば、地域の復興は不可能とは言えないが極めて緩慢であり、東北諸県の県民の不幸は極めて長期化するであろう。
いくつかの地域においては、復興は不可能となり、そこには永久の荒廃地が誕生するであろう。
▲日銀が、10兆円単位の国債を直接引き受ける場合でも、この国債は、この際「永久国債(超長期債)」として扱うべきである。
限られた期限内に返済を迫られる国債として扱うと、これが必ず増税の必要と結びついて来る。そうすれば、国民の有効需要を奪ってしまう結果となる。
これを防ぎ、順調な経済復興を実現する為には、あくまで「国債」という形にこだわるならば、10兆円単位の国債は、期限を定めて返済する必要のない、「永久国債(超長期債)」として、全く別枠の会計として取り扱うべきである。
このようにすれば、巨額の国債は、国家の通貨発行権の活用と極めて近い形となる。


2.円高阻止の協調介入の必要なし:短期の円高を利用し、復興の為の大量資源調達を行なえ

▲日銀・財務省は、主要先進国の協力を得て、円高阻止の協調介入を行なった。
国益に全く相反するパニック行動としか言いようがない。
▲日本の生産設備が大きく傷つき、GDPが下降せざるを得ない状況にあっては、放っておいても円高は終息し、円安の方向に向かう事は明白である。
日本の輸出力が阻害される一方、災害復興の為に、大量の資源輸入を必要としている。
資源の大部分はドルで調達するのだから、需給関係に任せていれば、自ずと円安ドル高となる事は、火を見るよりも明らかである。
▲一時的な円高は、日本企業が海外にもつ資産を国内に還流させる動き(リパトリエーション)が生じるのではないか、との思惑から起きた。
主に投機資金の為に生じた一時的現象である。
▲日本は災害復興の為に、大量の資源を必要としている。
一時的な円高は「不幸中の幸い」であり、資源を安価に大量に調達する最高のチャンスが現在与えられている。
日本経済の潜在力がもたらした一時的な好条件である。この天与の好条件を十二分に利用し、国家も企業も資源(特に原油を中心とするエネルギー・鉱物資源・食糧)を可能な限り、調達すべきである。
直ぐに日本国に輸送しなくても、先物等も利用して、円が強い内に、可能な限りの資源調達に手を打つべきである。
▲日本経済のダメージの実態が明らかになれば、円が極端な円安方向に動く可能性もある。
「1ドル=120円」程度の円安まで想定しつつ、今後の国家経済の運営を考えなければならない。
加工貿易を行なう日本にとって、そして大規模な経済復興を遂げなければならない日本にとって、安価な資源調達は決定的に重要である。
悪条件の中の唯一の好条件が、円高であると言ってもよい。
「地獄に仏」の円高といっても良いだろう。これをフル活用しなければならない。
▲輸出産業に有利な円安は、放っておいてもやってくる。
この時に資源コストが高くなっていれば、企業の利幅は当然、小さいものとなってしまう。
円高で、調達した資源で製造したものを、円安で売ってこそ、大きな利益を上げる事が出来る。また国内の復興の為にも安価な資源調達は決定的に重要である。



3.東京への一極集中から、東日本・西日本の均衡のとれた国土発展へ
▲日本列島を本州・中央の糸魚川・静岡構造線を境として、東日本と西日本に分けると、現在、日本の経済的中心は、あまりに東日本に傾いている。
これは人口分布に最もよく表れており、東日本の人口が、約8000万人。
これに対して西日本の人口は、約4000万人に過ぎない。東日本の人口が西日本の2倍である。
この主な理由は、東京への一極集中であり、首都圏への過剰な国家機能の集中である。
 現在の危機は、この東日本と西日本の極端なアンバランスを改善する好機である。
人口分布で言えば、東日本6000万人、西日本6000万人の東西の均衡のとれた国土に編成し直さなければならない。
▲もし今回のマグニチュード9の地震が首都圏で起きていれば、機能は完全に喪失していただろう。
また、福島原発の事故が更に拡大し、首都圏が放射能汚染されれば、どの様な事になっていたであろうか。
日本国は東京という頭部を失い、国家機関の中枢がマヒ状態に陥っていたであろう。
国会を始め、中央官庁が機能マヒに陥り、日本国そのものが全く機能し得ない状態に陥ってしまったに違いない。
災害が起きた時に、その災害対策を発令すべき国家の神経中枢がマヒしてしまう事になる。
 この恐怖を誰もが認識している内に、かねてから議論されてきた首都機能の分散は元より、産業再配備による東日本と西日本の、そして大都市と農村の均衡の取れた日本の国土発展を実現すべきである。
大規模な国土計画の実行は、このような天災が起きた直後にしか行なう事は出来ない。
「災い転じて福となす」の諺にもあるように、この天災を奇貨として、従来、絵にかいた餅に過ぎなかった首都機能の分散と国土の均衡発展を実現すべきである。
好機は現在をおいて他にはない。
▲企業レベルで見ても、東日本の本社機能が万が一、災害により壊滅状態に陥った場合でも、西日本の支社がこれにとって代われるようなリスク分散を今こそ実行すべきチャンスである。
また西日本に一極集中した企業があるとすれば、東日本に適度なリスク分散を成すべきである。
これは、東京への過度の集中を是正し、首都圏に経済空間の余剰が生じた時のみに可能となる。
東から西への約2000万人の異動を伴う、国土再構築は、インフラの整備を含めれば、厖大な有効需要の創出となり、これが災害復旧の公共投資に更に上乗せした形で、日本経済を内需主導型で成長させるエンジンとなる。
▲平安時代までの日本は、西日本中心であった。
東日本はフロンティアであり、新興地域であったに過ぎない。
鎌倉幕府の開幕以来、このバランスに変化が生じ、東日本に徐々に国の重心が移って来た。
明治維新以降は、東京への一極集中が進み、第二次大戦後の高度成長は、寧ろ、東京への一極集中を過度に推進してしまった。
東日本でも、首都圏を除く、北関東・東北地方は、過疎に悩まされて来た。
 この歴史を踏まえて、西日本を大復活させる事により、東西の均衡のとれた日本が誕生する事になる。
例え国家の一地域において、決定的な災害が起ころうとも、他の地域が有機的に機能し、その損害を補う事によって、災害地の復興が可能となる。
あらゆる富と生産設備と頭脳が一か所に集中していれば、その一か所が決定的な災害に見舞われた時、国家は、復活する事が出来ない。一地域における災害が、国家そのものの衰退という結果を生む事になる。
▲リスク分散はこの為にどうしても必要である。
リスク分散は同時にコストの増大をもたらす。逆に言えば、東京への一極集中はリスクを無視した短期的な高率至上主義によってもたらされたものである。
今後はコストを十分に踏まえた上でのリスク分散こそが、国家としての真の安全保障であるという原則に、政財界指導者は目覚めなければならない。
それは同時に、過疎過密問題を解決する絶好の新政策ともなる。
 例えば国会に関しても、西日本の岡山や広島で年間何日間かを開催できる状況としておけば、首都東京が大災害に見舞われた場合でも、いつでも国家の緊急事態に対応する事が出来る。中央政府の諸官庁も西日本の主要都市に分散して配置しておけば、東京が壊滅した場合でも、いつでも大阪以西に緊急に機能を移動させる事が出来る。
 西日本においても、京阪神に一極集中が起きないように、寧ろ、主要中核都市を均衡発展させる政策を取るべきである。
▲又、この際、「地方主権」などという考え方が如何に国益に反し、現実にそぐわないかを再認識すべきである。
もし、「道州制的地域主権」なるものが実現していたらどうなるだろうか。
「東北州」の災害には他の道州は全く有機的にこれを救済する事が出来なくなってしまう。
主権とは即ち、独立国家であり、独立財政であるから、国家としての一体性を原則として否定する事になる。
「東北州」が一主権地域ならば、今回の大災害に対して、単独で災害復旧に立ち向かわなければならない事になる。
如何に、地域主権という考えが、現実にそぐわないかは、この一事例をもってしても即座に了解できるであろう。
▲「日本国は、主権国家として一体であり、地方の自主性を重んじながら、国家機能を分散させ、リスクに備える」という考え方と、「道州制的地域主権」とは似て非なるものであり、実は真っ向から対立する国家観なのである。
 日本国民全体が、皇室という尊い存在の下、1つの歴史的な有機体として繋がりを持ち、相互に助け合い、各地方は均衡を持って発展してゆく、というのが真の国家経営のあり方である。
またそれは、日本国の歴史が我々に教える国家発展の基本でもある。



4.新エネルギー開発による段階的脱原発化 
新エネルギー開発で、段階的・脱原発化。

▲福島における原発事故は、現在のところ、最悪の事態を免れてはいる。
大震災と大津波は自然災害であるが、原発事故は自然災害が引き金となってはいるが、基本的に人災である。
最悪の事態が起きる前に、日本は現在の核分裂に基づく原子力発電所を段階的に廃棄し、新エネルギーの開発によって、これを代替すべきである。
 原発については、様々な考え方があり、私自身もかつては原発容認派であり、寧ろ最近は「原発推進もやむをえず」との立場を取って来た。
しかし、他の国はともかく、いつでもどこでも予測不可能な大震災の起きる可能性のある日本の国土にとっては、現在の原発はあまりに危険すぎる。
▲日本の原子力発電所を各国と対比した場合、相対的に安全であったのは事実であろう。
しかし、マグニチュード8.5の地震には耐えられても、マグニチュード9とそれに付随して起きる大津波には耐えられなかったというのが現実である。
どこにどの程度のマグニチュードの地震が起き、それがどの程度の震度となり、あるいはどの程度の津波被害をもたらすか等を、完全に予測する事は出来ない。
安全基準は常にある程度の常識の範囲内で行なわざるを得ない。歴史的にマグニチュード9の地震が、過去になかったとすれば、それを想定しないのが経済合理性というものである。
しかし、何百年に一度、千年に一度の想定外の大地震はいつでも起きる可能性があり、現実に今日の東北ではそれが起きてしまった訳である。
▲M9の地震や大津波に耐えうる原発を創る事は可能であろう。
しかしそれでも、M9以上の地震や津波には耐えられないであろう。
そうである以上、原子力発電所が日本にとってはあまりに危険であり、不向きな発電方法である事は確かである。
 地震や津波の想定とは、所詮、人間の都合で行なう事であり、もっとハッキリ言えば、企業は常にこれを採算性と照らし合わせて行なっている。
安全性最優先ではないのである。
 地震の絶対ないテキサスや、フランスやドイツならば原発は作ってもよいかもしれない。
それは各国それぞれが独自の判断で行なえばよい事だろう。
日本に原発が向いていないからと言って、地震も津波も台風も来ない自然条件をもった国が原発を全廃すべきである、とは言えない。
しかし、日本国に関して見れば、まさに想定外の地震災害が起き、それによって原発の安全神話は完全に崩れてしまったのである。
▲今日までのところ、原発事故に起因した被爆による死者ないし患者は、一人も出ていない事になっている。
そうであり続ければ結構な話だが、今後、被ばくによる様々な被害者が続出して来ると思われる。
死者が今のところ発生していないにしろ、かなりの放射線漏れがあり、防災対策員を中心にかなりの被爆者が発生している。
これは明らかに電力会社が公言していた「安全」の約束が破られた事を意味している。
これに対する社会的責任は誠に重大であると言わなければならない。
▲電力供給は、公共性の高い事業であり、電力会社は、自由競争を免除されて、独占的な立場を享受している。
それは事業の安全と電力の安定供給の為に与えられた特権的な立場である。
その特権的な立場にも関わらず、今回、東京電力は、電力の安定供給が出来ず、安全性を保つ事が出来なかった。
その社会的責任は実に甚大である。
また、原発災害の対策の為に、国家機関がどれほどの費用を負担しなければならなかったのか。
この費用負担に対しても東京電力は全面的に責任がある。
企業のあり方そのものの変革が必要である。
▲そもそも原発に関しては、「絶対安全」が謳われ、「安全神話」が造られてきた。
何故なら、万が一、本格的な原発事故が起きた場合、その被害があまりに膨大な為である。
今回の福島原発の事故でも、本格的なメルトダウンが発生していれば、首都東京も含む、東日本のかなりの部分が危険地域となり、数百万人の被害者が発生していた可能性がある。
また事故が巨大となれば、日本国民そのものの生存が危うくなる可能性もあった。
更に事故が巨大になれば、日本国一国の問題ではなく、放射能汚染が地球のかなりの地域にまで拡がり、被害を拡大した可能性もある。
それ故に、原発に関しては絶対安全神話が人為的に作られて来たのである。
▲今回、我々は、日本の、もしかすると人類の「最後の日」を垣間見た訳である。
この恐怖感に我々は素直に反応すべきであると思う。
 そもそも、絶対安全でなければならない技術は使ってはならないというのが原則である。
何故なら、人間の作るものに絶対安全は有り得ないからだ。
人間の作るものに絶対安全はない。
事故が起き、技術が破綻した場合でも、その被害が限られているから、我々は絶対安全でない技術を使い続けているのである。
例えば旅客機は、「絶対安全」ではない。
しばしば墜落事故を起こす事を我々は知っている。
しかし、旅客機が墜落した場合の最大の被害は、乗客と乗員の全員死亡である。(それが原発の上に落ちない限りは…。)
 火力発電所が事故を起こしても、その最悪の結果は想定内である。
環境の破壊もあるが、それも限られたものである。しかし、現行の原発の事故に関しては、最悪の事態は、地球環境事体の汚染であり、日本人そのものの生存すら危うくなる可能性がある。
このような(絶対安全を前提としなければならないような)技術は、使ってはならないというのが、本来の技術哲学である。
▲人類は、スリーマイルアイランドの事故とチェルノブイリの事故と福島第一原発の事故を経験した。
各国の判断は、各国国民に任せるとしても、少なくともこの地震列島に住む我々が、これ以上、原発に電力供給を依存し続けていく事は許されないだろう。
それは又、我々の子孫に対する責任であると同時に、他の国々に対する責任でもある。
国土を核汚染して取り返しのつかないような災害をもたらす事を、日本国を愛する全ての人々は許してはならない。
▲日本に全く地震が無く、津波も台風も無く、ウラン鉱石が豊富であるならば、日本が原発に依存する事にも、ある程度の合理性は存在する。
しかし日本の地理的条件は全くそうではない。
 また、原発に対する代案がなければ原発廃絶を訴える事は、あまりに無責任な主張であろう。
しかし現在、バイオマス、常温核融合、その他の再生可能な自然エネルギー、又、従来の火力発電や水力発電の効率化や節電などの新テクノロジーが既に目白押しであり、国内の発電量の約3割から4割(原発の発電量)をこれらの新しい電力源で代替させる事は、十分に可能である。
それどころか、国家の通貨発行権を元にした新エネルギーの実用化は、日本が世界に輸出する新テクノロジーとして、有望な成長産業である。
原発推進者自身が認めるように現在の核分裂型の原子炉は、本格的なクリーンで安全なエネルギー源が誕生するまでの過渡期の発電形態に過ぎない。
▲現在、最も革新的なものとしては常温核融合の可能性も大きく拡がっており、それ以外にも、様々なコスト的にも成立可能な代替エネルギーが開発されている。
これらの普及を阻んでいるのは、寧ろ、現在既に存在しているエネルギー利権である。
例えば、植物から取れる安価なアルコール燃料が普及すれば、ガソリンの売上が減少するので、石油会社はこれを阻もうとする。
原子力発電にとって代わる安全で安価な常温核融合発電がもし可能であったとしても、既存の電力会社の利益構造がそのような新テクノロジーの発展を阻む事になる。
要は、如何に合理的で、市場性のある新エネルギーでも、既存の利権構造に阻まれれば、社会に普及する事が出来ないという問題である。
今や、このような社会の安全と進歩を阻む旧利権体制を一掃して、国民に安全で安価なエネルギーを供給する体制を打ち立てなければならない。
▲しかし、これには大きな困難が伴う。
独占的な9電力体制によって守られている電力会社は、巨大な利権機構であり、官僚組織である。
まして原子力発電は、「めちゃめちゃに儲かる」商売なのである。
彼らは政治家と学者とマスコミに対して、巨大な支配力を行使している。
独占事業をやっている電力会社が本来、マスコミでPRをする必要は全くない筈だが、彼らはPRに厖大な費用を費やしている。
原発を中心に電力会社に対する批判を封じ込める為である。
今回の福島原発の事故に際しても、テレビ等の解説に登場した学者のほとんど全ては、原発擁護・推進派であり、電力会社の息のかかった御用学者である。
▲更に、この悲劇を増幅しているもう1つの事実がある。
それは、反原発を唱える人々の主力が、リベラル左派の反体制派であった事である。
日本の国益を重視し、日本の文化伝統を愛する立場からの反原発論者は極めて少数派であった。
 その結果、マスコミの中で展開される図式としては、「体制派=原発推進派」VS「反体制派=原発反対派」という不毛の対立図式しか存在しなかった。
そこで一般に、国益や伝統を重視する人々の間では、原発に対する批判がタブー視されてきた傾向がある。
一言論人として、そのような無言のプレッシャーは私自身も常に感じて来たところである。
▲ハッキリ言えば、保守的な言論人であって、脱原発の立場を明確に打ち出すのは、極めて難しい状況にあった。
多くの雑誌やマスコミが、電力会社の広告料に依存している以上、ましてこの不況下で、マスコミの広告料が減少傾向にある中、電力会社の主張に相反するような言論を展開する事は、特に保守派の言論人にとっては、致命傷になる可能性がある。
 多くの言論人はこの事を無言の内、了解しており、このタブーにだけは触れないように、巧みに振舞ってきたと言えるだろう。
このような国家と民族の未来を破壊する旧利権構造は最早、完全に過去のものとしなければならない。
 私自身の反省を込めて、そう訴える。
▲話がやや、個人的なレベルに逸脱してしまった感があるが、国家の通貨発行権を軸とした新公共投資の大きな柱として、新エネルギー開発を大胆に推し進めるべき時である。
日本国民は、智恵と工夫の民族であり、一端、新しい課題が与えられれば、これを技術的に克服する事は決して難しくはない。
 日本人本来の創造性を信じて、新たな一歩を前に踏み出すべき時である。
私自身は勿論、技術者ではないが、原発にとってかわる様々な新テクノロジーについては、常に関心をもって、これを見守っている。



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