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【藤井厳喜アカデミー】国民の為の政治学・第7講「デモクラシーはどのように発展して来たのだろうか?」(全8本)

投稿日:2010,03,26

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 本日は夕方から、西村幸祐さんと、メディア論等について、対談を行ってきました。
この映像は、明日以降に、改めてご報告と共に、公開UPさせて頂く予定です。
是非、お楽しみください。

 さて、本日のテーマは、「デモクラシーはどのように発展して来たのだろうか?」です。

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【『藤井厳喜アカデミー』講義要項案―「国民の為の政治学」カリキュラム】ファイルをダウンロード
※ 随時、12回の正規講義に加え、適宜、必要に応じ、より詳しい補足講義でフォローアップする事もあります。

 ※ 「今回、はじめて藤井厳喜アカデミーを知りました! 最初(ガイダンスも含む)から勉強したいです」という方は、このブログの『カテゴリー: 「藤井厳喜アカデミー」』をソートして頂ければ、最初から整理された一覧状態で学んで頂く事が容易だと思います。
 全く、この講座を御存じない方に、ご紹介して頂く場合は、このアドレスを【藤井厳喜アカデミー・ブログ http://www.gemki-fujii.com/blog/cat67/ 】ご紹介頂けますと、分かりやすいかと思います。 

「国民の為の政治学」全体のカリキュラムは以下に示す通りです。
【『藤井厳喜アカデミー』講義要項案―「国民の為の政治学」カリキュラム】ファイルをダウンロード


 今回の講義では、デモクラシーを支える論理と倫理を2つの方向から、詳細に検討したいと思います。

第一は、政治哲学的に、デモクラシーを支える構造を考える事です。
第二は、歴史的観点から、特にイギリスにおけるデモクラシーの発展を実例として、その進化的発展を考える事です。

歴史を深く分析すれば、民主政治が如何なるダイナミズムによって、発展してきたかが分かり、そこからデモクラシーの精神を抽出する事が出来ます。
また逆に、デモクラシーを支える論理と倫理を探求すれば、その視点からデモクラシーの発展史をより明快に理解する事が出来ます。
このように政治哲学的思考と、歴史的検証は、相互補完的であり、また、表裏一体のものです。

 革命とデモクラシーの関係については、次回の講義で取上げます。

今回は、革命的ではなく、「段階的=進化的」にデモクラシーを実現して来た立憲君主制のイギリスを実例として深く研究しています。


 今回で、政治学講座も、後半に入りました。
政治が激変してゆく時代に、政治学言論を勉強している暇はない、と考える方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、現在のような、激動の時代であり、活発な実践活動が必要な状況であるからこそ、政治学言論が必要なのだと私は思っています。

 物事を原理的に根底から考え直す思考力こそが、情報戦を勝利に導き、より効率的な闘い方を可能にします。
激動の時代を戦い抜く、知性の眼力を鍛える事が、この講座の目的です。

 原理・原則的であると同時に、現実的・実戦的であるように常に心がけて講義をしています。
この講座をシッカリ学んでもらえば、敵陣営の日々仕掛けられてくるディスインフォメーションを本質を見抜く事が出来るし、即座に効果的な反論が出来、また実践的な戦略や戦術が自分の頭脳で考える事が出来るようになると思います。

 実戦を闘い抜くハンドブックを読むようなつもりで、この講座の内容を十分に消化吸収してください。

一見、抽象的な思考が、実は、とても現実的である事がお分かり頂けると思います。

 では、8本の映像をご覧ください。

1/8 【国民の為の政治学】第7講「デモクラシーはどのように発展してきたのだろうか」[H22/3/26]


 この講義シリーズの冒頭で述べたのは、デモクラシーは、国家統治の一形態であるという事であった。
 この事を再確認しながら議論を進めたいと思う。
デモクラシーを支える概念である個人の自由や人権という事も、国家無くしては成立しえないのである。

 自由や人権を保障するものは、国家以外にはありえない。
 近代的な契約概念からしても、国民が国宝を守るが故に、国家は国民の自由や人権を保障するのである。
 自由や人権が国家が存在し、その国家が民主政治によって営まれる時にはじめて実現する。
 個人は国家という共同体の構成員になる事によって、義務を負うと同時に、自らの権利を確保するのである。
 この権利の一部が、国家内で保障されるところの様々な自由である。
 国家を破壊する事によっては自由や人権を確保する事が出来ない。


2/8 【国民の為の政治学】第7講デモクラシーの論理と発展[H22/3/26]


 民主国家が成立する為の最も重要な必要条件は、公共の概念が成立する事である。
「公共という概念が成立する」とは即ち、国家が私的集団の所有物ではない、という事である。

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 公共という概念の成立は、必ずしも民主国家でなくとも成立しうる。
王政であっても貴族制であっても、支配集団が、被支配集団の民政の事を慮り、自らの利益にのみにとらわれず、国家全体の事を考えるならば、そこにおいて既に公共の概念は成立している。

 日本の封建時代には、既に封建領主の領国において、このような概念が実現していた。
例えば、武田信玄の支配する甲斐の国においては、領主も領民も運命共同体であり、不可分の政治共同体の一部である、との認識が既に存在していた。上杉謙信の支配する越後においても、同様であったろう。
 江戸時代の名君として有名な上杉鷹山を生んだ上杉家には「伝国の辞」といわれるものが受け継がれていた。
その考えの基本は、「民あっての君」であり、「君あっての民ではない」という考え方である。
 これは一種の「殿様機関論」である。
ここには近代的概念ではないが、既に君主の私益を越えた公共の概念が成立していたと言える。
 これに反して、シナの歴代王朝は、皆悉く、私であり、ついにシナにおいては、公の概念が王朝のもとで実現される事は無かった。
全ての王朝は、支配階級たる自らの一族の私益のみを優先させたのである。


3/8 【国民の為の政治学】第7講「デモクラシーはどのように発展してきたのだろうか」[H22/3/26]


 デモクラシーが成立するには、第1の条件として、公共の概念を内包した国家が成立していなければならない。
これが必要条件である。
しかし、それだけではデモクラシーは成立しない。

 第2に必要なのは、統治に参加する国民が基本的に平等である、という考え方が確立していなければならない。
 これがデモクラシー成立の十分条件である。
第1と、第2の2つの条件が整備されてはじめて、民主国家の統治が成立するのである。

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 1つの運命共同体たる国家の中で、国民の基本的平等を成立させるものは何だろうか。
平等性の根源を支える正統性はどこから来るのだろうか。
これは、著しく政治哲学的な課題である。

 平等を支える根底は、歴史から導き出された共同体の精神的な合意である。
その合意の成立は、国家の地理的・歴史的・宗教的条件によって様々に異なっている。

 ヨーロッパにおいては近代デモクラシーの平等主義を推し進めた根底は、「神の下の平等」というキリスト教の理念であった。
この理念を国民の多くが受け入れた時に、近代デモクラシーの根底は確立したのである。
その確立の為には、長い年月をかけて必要とした。
 日本においては、天皇のもとにおける平等という考え方が、これに匹敵するであろう。
明治維新における四民平等の考え方を支えたのは、天皇のもとにおける平等の理念であった。
即ち日本風に言うならば、天皇の赤子としての市民は平等に扱われるべきである、との理念が様々な経緯を経て、成立し、これが明治以降の立憲政治と民主化の動きを支えたのである。


4/8 【国民の為の政治学】第7講「デモクラシーはどのように発展してきたのだろうか」[H22/3/26]


 民主政治は、2つの矛盾した事柄を同時に成立させなければならない。
それは、多数決と少数意見の尊重である。
権力を握った多数派が、では何故、少数意見を尊重しなければならないのか?、それは少数派と言えども、国家という運命共同体=精神共同体の平等な構成員だからである。
 争点によって、立場は異なっても、共に民主国家という共同体の一員としての自覚があるからこそ、敵対する党派の自由と人権を保障するのである。

 この共同体意識が崩壊すれば、民主政治はたちまち多数派の横暴となってしまう。
 また、一度、選ばれた権力者がその権力を乱用し、民主国家自体を破壊してしまう事になる。
 
 同じ「精神共同体=運命共同体の一員」としての自覚があるからこそ、少数意見や少数者の自由が尊重されるのである。
共に同じ国家の為に尽くす存在であるという共通の自覚が根底に存在している。
その意識の上で、個々の争点に関する立場は変わっても、共に愛国心をもつ者同士として、お互いに、寛容の精神を発揮する事が出来る。
民主政治を機能させるこの寛容の精神もまた、共同体意識から生まれてくるものである。
 つまり、共同体意識あるが故に、平等の実現があり、また寛容の精神の実践がありうるのである。


5/8 【国民の為の政治学】第7講「デモクラシーはどのように発展してきたのだろうか」[H22/3/26]


 近代デモクラシーの源流の1つである、イギリスのピューリタン革命におけるパトネー・ディベートに注目したい。

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1647年に行われたこの論争では、ピューリタン革命を推進するいくつかのグループがそれぞれ代表を立てて国造りの行く末について盛んに論争を交わした。
 この論争が、まがりなりにも平和裏に行われ、革命所派の相互の武力衝突に至らなかった理由は、何であろうか。
 それは、ここにパトネーの地に集った、いくつもの異なる考えをもった集団が、共にキリスト教のプロテスタントとして、神の摂理を信じていたからである
 神が我々に望んでいる事は何か?という疑問を持ち、この共通意識が、反対派の意見に耳を傾けさせる寛容性を保証していた。プロテスタントとしての、そして、イギリス人としての共同体意識がこのディベートそのものを成立させたのである。
 そうでなければ、ディベートはディベートに終わらずに、相互の殺戮にまで及んだに違いない。


6/8 【国民の為の政治学】第7講「デモクラシーはどのように発展してきたのだろうか」[H22/3/26]


 パトネー・ディベート(会議)において、会議参加者達は、どのような考えに基づいて議論を交わしていたのであろうか。

 先ず、神は絶対者であるから、如何なる人間と言えどもその全体像を完全に把握する事は出来ない。
 誰もが神からのメッセージを受ける事は出来るが、そのメッセージは常に不完全である。
言い換えれば、誰もが「神の似姿」を心に描いているが、誰の神の似姿も、完璧なものではない。
 誰もが部分的には正しいかもしれないが、誰もが部分的には誤まっているかもしれない。
このような真理観に基いて、お互いに神の似姿と思えるもの、言い換えれば、神の摂理であるはずのオピニオンを提出し、相互に論争を通じて検証しあい、より高い真理に到達しようとしたのであった。

 ここにおいては、最終的な合意(Agreement)そのものよりも、会議の精神(Sense of Meeting)が大事であり、合意に至るプロセスである討論や討議(Discussion、Debate)が重んじられる。
 このような真理観に基づく討論の精神自体が、デモクラシーを根幹で支える精神であると言える。
 あくまでも、歴史的に成立し、進化してきた共同体において、基盤となる共同体精神の上に乗っ取って、このような討論が可能となるのである。
 歴史的な共同体の中でこそ、自由や権利といった言葉は具体的な意味をもつ。

   歴史的共同体そのものを完全に破壊つくしてしまう革命においては、このような寛容の精神に基づくデモクラシーは成立しえない。
抽象的な自由や平等という理念によって、指導され、従来の歴史的共同体を完全に破壊してしまったフランス革命や、ロシア革命では、権力者による反対派への徹底的な血の粛正が行われ、巨大な惨禍を残す事となった。
 これは全ての共産主義革命に共通した悲劇でもある。


7/8 【国民の為の政治学】第7講「デモクラシーはどのように発展してきたのだろうか」[H22/3/26]


 世界の諸国家を比較検討すると、立憲君主制に基く民主国家が最も国民にとって幸福な政治体制ではないかと思われる。
 立憲君主制という事は、歴史を否定する革命を経験せず、革命(Revolution)よりは寧ろ、漸進的な進化(Evolution)によって、民主政治の体制が確立して来た事を意味する。

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 日本やイギリスや北欧の民主国家は、皆、このパターンである。社会も安定し、経済生活の水準も高く、政治的自由も十分に保障されている。
 立憲君主制的民主国家としての日本の歴史を振り返ってみれば、ヨーロッパに比べて、決して大きな後れを取っていた訳ではない。
日本とヨーロッパは、並行的に近代において進歩してきたというのが私の世界史の見方である。

 今、ここに1つだけ事例を挙げるとすれば、1215年のイギリスにおけるマグナ・カルタの成立と、1223年の日本における貞永式目の制定とは、政治的に極めて類似した歴史的出来事であった。
両者に共通しているのは、封建領主デモクラシーの確立という事である。
法治主義による封建領主の間の議会政治の原点がここに確立されているのである。
この時点では、イギリスでも日本でも、庶民階級は政治には全く参加できなかったが、封建領主たちが、主体となり、会議(日本風に言えば「評定」)によって政治の重要な決定を行うという体制が確立している。


8/8 【国民の為の政治学】第7講「デモクラシーはどのように発展してきたのだろうか」[H22/3/26]


 近代的な民主政治を成立させる為には、他にもいくつもの条件が必要である。
 先ず第一に、国家が宗教的・思想的には勿論、政治的にも政治的にも経済的にも独立していなければならない。
またある程度、経済的に豊かで、教育水準の高い中産階級の数が多くなければ、民主政治は巧く機能しえない。

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 イギリスの例を見てみよう。
1535年にイギリスは、英国国教会を作り、ローマ・カトリック教会の宗教的権威から独立する。
これは思想的・宗教的レベルでの独立である。
1588年には、イギリスは、ヨーロッパのカトリック教会を守る最大の勢力であったスペインの無敵艦隊を撃滅する。
これによって、イギリスは政治的にもカトリック圏の影響力から脱出する事が出来た。

 この後、ピューリタン革命という共和制革命、チャールズ1世の処刑、王政復古を経て、1688年の名誉革命によって、ようやく社会が安定を取り戻す。
 国内の政治改革が、一段落し、商工階級、中産階級が政治に参加する道も開かれる。
ここからイギリスの大発展がはじまるのである。
1774年のワットの蒸気機関の発明から産業革命も開始され、イギリスは世界の工場となり、7つの海を支配する大英帝国は隆盛を極める事になる。

 宗教的・思想的に独立し、かつ政治的にも如何なる国家の従属国でもなく、経済的にも繫栄してゆかなければ、国内の民主制は決して順調に機能してゆかない。
 また、国内の民主政治の進展により、国民各階層のもつ能力を十分に引き出してゆかなければ、国家の独立と繁栄もあり得ない。
近代におけるイギリスの発展史はこの事を最もよく物語っている。

 この政治講座の後半では、日本の政治が如何に段階的に発展してきたかを、ヨーロッパ諸国との比較において検討してみたいと思っている。





【藤井厳喜より、お知らせ】今週末の日曜日も又、溝の口駅に、藤井厳喜がうかがいます!



【神奈川県川崎市】 3.28 頑張れ日本!外国人地方参政権絶対阻止!選択的夫婦別姓絶対阻止!街頭宣伝活動 in 溝の口 (※ 雨天決行!)

次回は!!!! 平成22年3月28日(日) 13時00分から15時00分

「溝の口」駅  南武線・田園都市線 連絡通路

登壇予定:藤井厳喜、神奈川県の地方議員数名 ほか


(本日も、ボランティアでご支援くださいました方々、そして準備のお手伝いや撮影等くださいました方々、本当に有難うございます。心より感謝しております。)


御問合せは、 頑張れ日本!全国行動委員会 TEL 03-6419-3900
※ 案内チラシはこちら→ http://www.chsakura.jp/sakura/protestactivities0324&28mizonokuchi_flyer.pdf 

 1人でも多くの方にお会いしたいと思います! 是非、ご参加願います!




※ 私への御連絡については、以下のアドレスにご連絡を頂ければ、チェックが遅れる事もございますが、必ず情報は全て拝読しておりますので、宜しくお願い申し上げます。
(ここのところ、メールの量が連日、倍々増状態となり、更に外での活動が増え続けている為、全てのメールに個別返信が厳しい場合があります。状況、ご理解頂ければと願います。← それでも全て拝読は必ずさせて頂いております。)


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