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2・2頑張れニッポン・創立大会で、来るべき7月の参議院選挙での立候補を表明

投稿日:2010,02,02

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大変、熱気のある集会だった。

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日比谷公会堂は、満席に立ち見の出る状態。
入りきれずに、会場外にとどまる人の姿もあったという。

外国人参政権法案に代表される法案に代表される亡国の動きを阻止し、日本再生を願う人々が、ここに結集した。
長時間にわたる大会ではあったが、あっという間に過ぎてしまったという感覚である。

登壇者のスピーチは、甲乙の付けられぬ程、皆、秀逸なものであった。
私は特に、西村眞吾先生の二回のスピーチに強く感動した。

また後、自民党から参議院全国区で立候補する三橋貴明さんの爽やかな決意表明も印象的だった。
私自身は、来る7月の参議院選挙にこの「頑張れニッポン」に集結した方々の支持を受けて、立候補する用意がある旨を表明した。







実は、私にとってもこれはサプライズであった。
先週の金曜日に頑張れニッポンの事務局長を務める水島総・チャンネル桜社長から、呼び出しがあり、立候補の意思があるかどうかの打診を受けた。
おやりたいとの想いが既に高まっていたので、ほぼ即断する形で受けて立つ旨をその場でお伝えした。

昨年のNHK捏造問題以来、チャンネル桜に結集する有志の方々と、様々な運動に参加させてもらってきた。
特に、11月以来、運動は大きな高まりを見せて来たように思う。

12月の習近平、来日反対のデモ以来、特に、私の中では、日本の為に出来る事は何でもやりたい!との気持ちが高まってきている。






言論人としては、その表れが「藤井厳喜アカデミー」政治学講座の開講でもあるわけだが、より実践的かつ具体的な運動が必要であるとの認識も勿論、長い間、持ち続けて来た。




元々、私は、言論人として、日本の世論を正しい方向に導く事を人生の主な仕事として選択して来た人間である。
若い頃には、政治家への道も模索したが、敢えて、それを選ばずに、間接的ではあるが、より自分に適していると思う言論人の道を歩んできた。
しかし、言論活動といえども、私の場合は、それがあくまで国家の為に奉仕する活動の一形態であるという認識であった。

言論活動も又、広義の政治活動であると捉えて来た。

現在の日本では、ごく普通の志ある人間が政治家になる事は極めて難しい。
周知のとおりである。
二世、三世、四世議員は、多い。
実際、親が政治家でもなければ、国会議員になることは極めて難しい。
後は、労働組合のような組織がバックにあるか、マスコミ(特にテレビ)で名前を売ったタレントが政界に転身できるぐらいであろう。
自民党の舛添要一議員などは、タレント学者から政治家に転身する事が出来た数少ない例だろうし、民主党の輿石東などは典型的な労組からの転身組である。

私は、一度は、書斎で人生を過ごす事を決断した人間であり、派手なマスコミへの露出やこれみよがしのカネと権力の横行する政治の世界には、大きな違和感を感じて来た。
しかし、我が国の政治情勢がここまで煮詰まってくると、個人の好みやら、好悪感等にも拘っていられないという切迫感の方が大きくなってくる。

権力や地位や名誉を求めている、と見られる事自体が、実は、身震いがする程、嫌である。
自分に出来る事を、コツコツと積み上げてゆけばよいのだ、という風に思いきってきた。
しかし、そういった個人の思考も最早、我儘なのではないか?とすら思えて来た。

今は、とにかく御国の為に出来る事なら、何でもやらなければならない、という心境である。

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水島社長が私に白羽の矢を立てたというならば、それは、有難い事であり、この同志の期待に応えたいという想いが第一に私の心を占領した。

私が、最適の人間であるかどうかは分からないが、望まれるならばこの挑戦から逃げる事は許されないと感じている。





今日の創立大会で言った事ではあるが、私は、もう御偉い政治家の先生方にお願いする事はやめたいと思っている。
そういった行動のパターンに辟易していると言ってもよい。
御偉い政治家の先生にお願いして、嘆願して、事を成そうとする時代は、最早、過ぎ去ったのではないか?

自民党も民主党も最早、完全に時代に乗り越えられてしまっているのである。

草莽崛起とは、私が高校時代に吉田松陰の本を読んで以来、大好きな言葉であるが、これが真実ならば、我々自身が行動し、我々自身が物事を動かしていかなければならない。
我々が庶民であり、誰かエライ政治家の先生にお願いして、事を成そうというのは、草莽崛起の精神ではない。

我々は、こう、行動します。

貴方はどうしますか?
と、既存の政治家にも迫る、運動でなければならないだろう。

保守系国民運動から立候補しても、苦労が多い事は分かりきっている。
私は今までそういった勇気ある人達に同情もし、出来る限りの応援もしてきた。
労多くして、益少ない挑戦であると思っている。

しかし、誰かがやらなければならないのなら、その役割を人に押し付けず、自ら、引き受けなければならないとも思っている。

少々、内省的な暗い話になってしまったかもしれないが、実は、私は大いに明るい展望を持っている。
日比谷公会堂に集まったあの二千数百人人の熱気をもってすれば、日本国の再生と確信は必ず可能であると思うのである。

素晴らしい同志と前向きな活動が出来るという事は、誠に人生の多いな生きがいを実感している。
また、やる以上、必ず勝てると思っている。

既存のメディアや政治家の信頼度は今やガタ落ちである。
不平不満を言うよりも、1つの新しい現実を創り上げていきたい。

私の好きな諺に、こういうのがある。
「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けましょう。」
聖パウロの言葉らしい。

とにかく、闇の中で、一点の灯りを灯したいという想いである。


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ちなみに、本日は、私のスピーチの前に、居合道の大家である私の友人、小林緑硯(りょくけん)先生に、場を清める為に、演武をして頂いた。