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「東京裁判」の復権目論む立花隆―その論理の破綻

投稿日:2009,11,06

久しぶりに週刊文春11月12日号を買った。
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立花隆の「私の読書日記」を読んで、唖然とし空いた口が塞がらなくなった。

私は元々、立花隆氏の本は1冊も読んだことがない。
しかしマスコミに登場する彼のコメント等を見聞きして、彼が4流の知性しか持たないにもかかわらず、あたかも現代の「知の巨匠」の如く扱われている事に苦笑を禁じ得ないできた。
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しかし、この読書日記の論理の破綻ぶりはあまりに酷いので、つい批判せざるを得なくなってしまった。
本当はこういう人物の事は話題にも取り上げたくないのだが、これも情報戦争の一側面であり、立花氏が日本人の頭脳を汚染するディスインフォメーションを行なっている以上、たまにはこういう批判も有効であろう。

立花氏は、『「東京裁判」を読む』(半藤一利・保坂正康・井上亮・著)を強く推薦している。
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例えば彼は次のような文章を引用し、東京裁判の復権に賛成であると主張する。
「完全無欠の裁判ではなかったのは事実だが、その不備を根拠にそこで明らかにされた事実までも『東京裁判史観』として全否定しているのは間違っている」
「裁判では否定的に扱われた弁護側の資料も、時の経過とともに新たな歴史解釈の材料となりえる」

また立花はこうも主張している。
「裁判全体は『勝者の裁き』であったとは言え、『敗者の言い分』もきちんと残っていた」というのである。

私は『「東京裁判」を読む』という著作を読んではいないが、立花氏が展開する論が如何に非論理的であり、デタラメなものであるかについては十分に論証する事が出来る。
そしてそれは、『「東京裁判」を読む』という著作のおそらくは根本的な批判にも繋がってゆくのであろう。

敗者の言い分、つまり弁護側の資料も東京裁判の文書資料として残っているのは事実である。
それを根拠に、「東京裁判史観を全否定するのは間違っている」というのは、完全な論理の飛躍である。

東京裁判では勿論、いくつもの興味深い事実が検察からも弁護側からも指摘されている。
しかしそれは、東京裁判の正当性を担保する事には全くならないのである。

如何なる根拠により、如何なる法理により東京裁判は開かれたのか。
それが国際法の原則からして、裁判の名に値しないものであった事は、既に世界の国際法学者が完全に証明しているところである。

個人的な倫理観からしても、ウェッブ裁判長やキーナン主席検事は、東京裁判が終了した後に、裁判の正当性についての疑問や個人的な反省の弁を述べている。
これまたよく知られた事実であろう。

そして、東京裁判を開廷させたマッカーサー自身が、1951年5月3日、米国議会での証言で「日本は自衛の為に(太平洋戦争の)開戦を余儀なくされた」旨の発言をしているのである。
東京裁判開廷の唯一の法的根拠は、連合軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーの指令であったのだから、マッカーサーはこの発言で東京裁判の正当性そのものを完全に覆してしまった事になる。
つまり、東京裁判の主催者自身が東京裁判に正当性が無かった事を世界に向けて宣言したのである。

東京裁判の問題は、国際法上の正当性がないばかりでなく、はじめから日本の戦争責任(開戦の責任と戦争追行上の責任)のみを追求し、連合国側のそれを不問に付した事であった。

この裁判が、真っ当な所謂、「裁判」ではなく、一種の「政治的ショー」であり、日本国民に対する情報操作であったことは今や自明の歴史的事実である。
それ故に東京裁判を支えた歴史観、そして東京裁判の判決から導き出される歴史観、を「東京裁判史観」と呼ぶならば、東京裁判史観はまさに全面的に否定されなければならないのである。

東京裁判のやりとりの中で、弁護側の意見が陳述されたとか、意外な事実が指摘されているのを発見したとかと言う事は、東京裁判史観を肯定する理由には全くならないのである。

立花氏は、次の二つの事実を全く混乱して因果関係で結びつけている。
 A.東京裁判の中で、弁護側の資料も採択されている。
 B.東京裁判史観を全否定するのは間違っている。

Aが正しいから、Bも正しいという事には絶対にならないのである。

これは誰がどう考えてもそうであろう。

Aの事実は以前からよく知られている事で、それを知らなかったという事は、立花氏が不勉強であるということに尽きる。
弁護側の資料というならば、彼は弁護側の未提出・却下資料集が小堀桂一郎先生の編集で8巻に編集されて刊行されている事を御存知だろうか。
そして、それらの資料にも目を通されているのだろうか?

この資料集について、知りもせずに東京裁判について云々する事は、誠におこがましい事であり、また知的怠慢でもあろう。

半藤氏、保坂氏や立花氏がやろうとしている事はほぼ察しが付く。
それは、東京裁判で取り上げられた様々な興味深い小さな事実を指摘する事によって、「東京裁判史観の復権」を目指すということであろう。

それは日本を永久に独立させない、どこかの大国の従属国の立場に貶めておくという情報操作に他ならない。

それは日本を決して独立させまいとする、日本国内の勢力による、日本国民全体に対する情報戦争である。
そして、彼らの背後に某大国の影響力がある事が容易に推測されるのである。

東京裁判の研究はいくらでもすればよいし、またそこから面白い事実も浮かび上がってくるだろう。
東京裁判の資料も又、その裁判の政治的虚構性にも関わらず、歴史上の資料の一部であるには違いないのだから…。

しかしそれらの研究をいくら積み重ねたところで、東京裁判の正当性と、東京裁判史観の妥当性を証明する事にはならないのである。

そもそも半藤氏、保坂氏、立花氏らに研究して頂きたい事の1つは、どのようにして東京裁判が開廷されるにいたったかの歴史的経緯の検証である。
これもまた、東京裁判の歴史の一側面である。

東京裁判が如何に情報戦争の一環として、利用されたかという事については、私の最新著、『NHK捏造事件と無制限戦争の時代 』の第5章「情報戦争の実態」で詳しく解説してある。

近現代史にあまり詳しくない方でもゼロから学べるように分かりやすく書いてある。
写真や図解、人間関係図なども豊富であるので、是非、熟読して頂きたいと思う。
そうすれば、この手の立花氏の如く、一見、インテリ風の、物知り風の知的詐欺師に騙される事は一切、なくなるであろう。
これは著者として、、、これだけは保障できる。


≪お知らせ≫
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