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東アジア共通通貨は不可能である!― 丹羽春喜先生に学ぶ

投稿日:2009,10,19

特集『東アジア共同体は亡国への道』大シナ帝国成立を阻止せよ

【サマリー】
1.東アジア共通通貨の実現は不可能である。
2.無理に実現すれば、東アジア各国のマクロ経済政策の実施を不可能にし、国益に反する事になる。
3.東アジア共通通貨を発行する東アジア中央銀行を牛耳るのはシナ共産党になるであろう。
4.この場合、東アジア共通通貨は自動的に人民元となる。
5.つまり、東アジア共通通貨は、シナ共産党が東アジア全体を経済的に支配する1つの道具に過ぎない。
6.日本のみならず、自由民主のアジア諸国は、東アジア共同体と東アジア共通通貨に全力で反対すべきである。


 10月18日、丹羽春喜先生の丹羽塾に久しぶりに参加させて頂いた。
場所は、新宿区の四谷区民センター、午後5時半から7時半。

テーマは、「鳩山プラン『東アジア共通通貨』の危険性」であった。
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丹羽春喜先生は、現代日本における正統派ケインズ主義エコノミストの第一人者である。
10年以上前から、「政府発行通過」による抜本的な不況解決策について一貫して提言を続けられてきた。
私が学問的にも人格的にも最も尊敬する経済学者である。

先生の説は「ドンと来い!大恐慌 (ジョルダンブックス)」をはじめとする私の著作でも繰り返し紹介させて頂いている。

丹羽春喜先生 公式WEBサイト: 「新正統派ケインズ主義宣言」http://www.niwa-haruki.com/

公式ブログ: 「丹羽春喜の経済論」http://niwaharuki.exblog.jp/


久しぶりでお逢いした丹羽先生は、ご高齢ながら写真のように大変、お元気そうで安心した。
当日の講演も論旨明快で、かつ歯切れも良く、極めて分かりやすいものであった。
参加者は予定されたより多かったらしく、テーブルにつけない者も数名、いたようである。

講演の要旨は、「東アジア共同体」に付随して、鳩山首相などが主張する「東アジア共通通貨」が、如何にナンセンスなものであり、それを現実の条件を無視して強制的に実行すれば、日本のみならず各国の経済の実態を著しく傷つけるであろう、という内容であった。

私流に当日の丹羽先生のお話を簡単にまとめさせて頂ければ、以下のようになる。

第一に、「東アジア共通通貨」を発行する以上、単一の「東アジア中央銀行」が設立され、これが統一した金融政策を決める事になる。
ところが、東アジアといっても、経済状況は極端に異なるから、東アジア中央銀行が打ち出す共通の政策金利が例えば、デフレ下の我が国日本においては、高すぎる利子率となり、我が国の経済が不況から脱却する事を不可能にする一方、逆に例えば、タイやフィリピンの経済にとっては、その利子率が低すぎて、それらの国々がインフレを抑制する事が全く出来なくなるといった矛盾が、随所に生じてしまう。

これは、既にヨーロッパで生じている矛盾であり、これはユーロという単一の通過を導入した以上、ヨーロッパにとっては避けることのできない遺伝性の病気のようなものである。
ユーロを共通通貨とするヨーロッパ各国の経済事情はそれでも均質的なものであり、アジア各国の経済事情とは比較にならないほど起伏に富み、多様なものである。
単一の中央銀行による、単一の政策金利が各国が独自に金融政策を実行し、各国の経済を調整する事を不可能にしてしまうのである。

第二に恐らくはこの「東アジア中央銀行」が設立されるのは、日本の東京ではなく、シナの北京か上海であろう。
1998年以来、東アジア共同体構想を最も積極的に推し進めて来たのは、シナ共産党政権である。

東アジア中央銀行が、何処に設立されるにせよ、その銀行内で最も強力な政治的発言権を獲得するのがシナである事は目に見えている。
結局、13億の人口を誇り、地域内唯一の核保有国であるシナ共産党独裁政権が、東アジア中央銀行を牛耳る事になるのは火を見るよりも明らかである。

実際、今日、マニラに本部を置くアジア開発銀行(ADB)においては、日本が最大の出資者であるにも関わらず、その政策の主導権はシナに握られてしまっている。
日本からADBに出向する財務省官僚の多くが、事実上のチャイナ・スクールであり、シナに操縦される類の人間ばかりだからである。
(チャイナ・スクールは、外務省のみならず、日本の各省庁内でも蔓延している。
※「チャイナ・スクール」とはこの場合は、主体性なき親中派・媚中派の総称である。)

要は「東アジア共通通貨」を導入すれば、それがシナの人民元になることは目に見えている。
シナ政府は既に、2025年までに人民元を世界の準備通貨の一つとする政策目標を発表している。

つまり、「東アジア共通通貨」とは「人民元」の事であり、「東アジア中央銀行」なるものが誕生するとすれば、それはシナ共産党独裁政権が、アジアを通貨的に支配するその道具となる組織にすぎない。

それではこのような共通通貨と共通した金融政策を前提に、各国政府が独自の財政政策(予算)によって各国の経済をうまくマネージメントする事が出来るだろうか?
これも当然、不可能である。

「東アジア中央銀行」の統制下においては、各国固有の通過の発行権がはく奪され、結局、日本をはじめ加盟各国は、金融政策・貨幣政策をそれぞれ独自に実施する事が不可能になってしまう。
それゆえ、国債発行に依存する財政政策を独自に行なう事も不可能になってしまう訳である。

要するに、東アジア共通通貨が導入されれば、加盟国それぞれによる、固有通貨の発行権という「主権国家の基本権」が剥奪されてしまう。
そうすれば、加盟各国はそれぞれの財政政策や金融政策を実施できなくなり、それによって国民をインフレやデフレの被害から守る事も出来なくなってしまう。

また、財政政策・金融政策を欠いたマクロ経済政策は有り得ないのであるから、共通通貨の導入とは、加盟各国がマクロ経済政策の策定によって、国力を増進する能力を全て放棄する事を意味する。
例えシナ共産党の独裁的決定によってアジア中央銀行の政策が決定されないにしても(それは極めて有り得ない事であるが)、共通通貨による共通通貨政策のもとで、各国が自国の国益に沿ったマクロ経済政策を取れなくなる事は確実である。

言い換えれば、結局のところ、加盟各国は真の主権国家ではなくなるのである。

つまり、国家が国民の利益を守る事を放棄してしまう事になる。

以上のように、考えれば、純粋に経済学的な観点から見ても、アジア共通通貨は全くナンセンスであり、かつ不可能であることが容易に理解できる。


もし、このような条件を無視して東アジア共通通貨が導入されるならば、それはシナ共産党の経済権力の独占が東アジア全体を覆い尽くすということに他ならない。

文明論的、歴史的、政治学的に東アジア共同体構想が如何にナンセンスであり、不可能であり、日本は勿論、東アジアの自由諸国の国益に反したものであるか、については、私自身のブログで十分に論じて来た。

丹羽先生から、御教示頂いたのは、純粋に経済学的な観点から見ても、東アジア共同体が全くナンセンスであり、不可能であり、もし実現されればそれがシナの独裁的権力の伸長・拡大に過ぎないという事である。

振り返ってみると、それでは何故、ヨーロッパではユーロの実現が可能になったのか、という疑問が湧いてくる。
丹羽先生はこの事には言及されなかったが、私は以下のように理解している。

そもそもヨーロッパのエリート層の中には、第二次大戦以前から、「汎ヨーロッパ運動」というものがあり、特に東西冷戦後においては、ヨーロッパを世界の政治経済の中心として再復興させようという努力が顕著であった。
ヨーロッパがもしユーロという共通通貨を導入せず、共同市場を創らなかったならば、アメリカ・ドルの通貨覇権に各個撃破されていたかもしれない。
つまり、ドルは弱体化しながらも、二カ国通貨の対比においては、例えば、米ドル対英ポンド、米ドル対イタリア・リラの対比においては、常に強い通貨であったからである。

ヨーロッパはユーロを導入する以前に、既にEMS(ヨーロッパ通貨制度)というシステムを導入していた。
これは、西ドイツのマルク(世界で最も安定した通貨)を中心に各国通貨の変動幅を一定以内に収めようという制度的な努力である。

つまりEMSは西ドイツ・マルク本位制と言っても良い通貨制度であった。
加盟各国はドイツ・マルクを基準として、自国の通貨の強弱度を調整する事を約束していたのである。
これは、時には破綻もしたが、各国はおおむねこの制度を遵守し、発展させてきた。
この西ドイツ・マルク本位制を元に成立したのが、ヨーロッパ共通通貨ユーロなのである。

ユーロが導入された当時、私は「ユーロはマルクの別称である」と日本人に説明していた。
ユーロが8割型マルクの別名であった事は確かである。
このような長年の努力の末にユーロはようやく導入されたのである。

それでも今日なお、フランクフルトにあるヨーロッパ中央銀行(ECB)の金融政策の策定は各国の利害が衝突して容易ではない。

ヨーロッパ各国が、これらの努力にもめげず、共同市場を設立し、共通通貨を創った背後には、非常に強いヨーロッパ・ナショナリズムの心情がある。
経済的にもより大きな共同市場を創る事が、ヨーロッパ経済全体がグローバル経済の中で生き延びる最も合理的な選択であるという戦略論がそこには明確に意識されていた。

つまり、巨大なアメリカ以上の共同市場を創り、そこにおいて、共通通貨を導入する事により、ヨーロッパが再び世界の経済的中心になろうという野心と確信が存在しているのである。
庶民はいざ知らず、ヨーロッパ・エリートはこのような野心と確信の下に、共同市場の設立と共通通貨の導入を進めて来たのであった。

つまり単純に言えば、ディメリットよりも、メリットの方が大きいと判断したからこそ、このような幾多の困難を乗り越えて、ユーロの実現となったのである。

かつて私が対談したMITのレスター・サロー教授は以下のように主張していた。
「単一で最大の市場が、世界経済の中心となる事は、経済の鉄則である。」
この鉄則が、正しいとするならば、ヨーロッパは、アメリカを中心とする北米統一市場(メキシコ・カナダを含む)に対抗すべく、EUを設立したという事になる。

最もEU創立の背後にあるのは、単なる経済学的な思惟よりも、それを上回る文明論的なヨーロッパ・エリートの思想が存在したであろう。
それはともかく、EUとユーロの誕生は、経済学的に見ても、ヨーロッパ経済発展の為の合理的判断であった、とも考えられるであろう。
少なくとも統合を推進して来たヨーロッパのエリートの思考はそのようなものであった。

しかしイギリスはあくまで、自国通貨ポンドを堅持して、ユーロの導入を拒否している。
これは、共通通貨の導入が、究極的には主権国家の放棄に繋がるという警戒感からである。

繰り返しになるが、ヨーロッパのような文明論的・政治的・経済的均質性のない東アジアにおいて、東アジア共同体を設立し、東アジア共通通貨を導入する事は、日本の国益に最も相反する暴挙に他ならない。