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パウル・クレーと縄文的感性

投稿日:2009,10,05

 私の好きな画科の一人に、パウル・クレー(Paul Klee(1879-1940))がいる。
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クレーの抽象画を見ていると、私の中の縄文的感性が揺り動かされて、何か不思議な、また優しい気持ちになる。

 クレーの絵画は、ヨーロッパ的伝統の中では、謂わば絵画自体の崩壊した最後の到達点のような存在であると思う。
ヨーロッパのあらゆる絵画的技法が試され、その後に到達した極北の地点のような芸術である。
ヨーロッパの中の美的感性と論理が自己展開し、完成され、最後に自己崩壊してしまったようなその崩壊の形であるような、芸術とも言える。

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(※私の好きな絵 『子供の半身像』(1933))

恐らくは、クレーに与えた影響ということであれば、ヨーロッパから見えた近代以前のもの、すなわちアルタミラの洞窟の壁画やアフリカ黒人の原初的な芸術のようなものが考えられる。
しかし、私にはクレーの中にある根源的なもの、それは別の言葉でいえば「キリスト教以前のもの」更に言えば、「古典ギリシャ以前のもの」は、日本の縄文時代の感性に極めて近いもののように思われる。
縄文時代の巨石文化と極めて類似したものが、ヨーロッパのストーン・サークルのようなものに発見されるのは誰もが容易に気がつく事だ。
我々は、ヨーロッパの近代の華やかさに幻惑されて、キリスト教以前のようなあるいは、古典ギリシャ以前のようなヨーロッパの土着文化の香りに想いを致す事があまりに少ない。


しかし、例えばクレーの、『死と炎』『インスラ・ドュルカマラ』を見ると、私にはそれが縄文以外のものにはとても見えないのである。
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 (『死と炎』Tod und Feuer (1940) )

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 (『インスラ・ドュルカマラ』Insula Dulcamra (1938) )

また、クレーの「天使の絵」シリーズなどは、江戸中期の福岡の仙崖和尚の一筆書きの絵『お月さまいくつ』『猫の恋図』の世界観にも極めて似ているように感じられる。
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 (『お月さまいくつ、十八、七つ』 ※ 仙厓義梵(せんがいぎぼん)江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧の作)
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 (『猫の恋図』) 


 萩散るや クレー、仙厓 呑むあたり   厳喜

 私の好きな二人の画家が、萩の散る野辺で酒を酌み交わしているという風景である。
クレーが酒をたしなんだかどうかは知らないが、仙厓は随分といけそうな口である。
どんなに楽しい会話が交わされることだろうか?

いや、そこに画帳の一冊も置いておけば、どんなにか面白い絵画の対話が成立していただろうか。
こんなことを考えるのが、私の楽園である。


日本で人気のあるクレーの数ある「天使の絵」にしても、私には縄文的感性の表現のように思われる。
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恐らくクレーの絵が非常に日本で人気のある理由はここにあるのであろう。

クレーは恐らくはあらゆる近代的絵画の思想と哲学と手法を吟味し、子猫のようにスルリと通り抜け、人間の「描く」という衝動の最も原初的な体験に出会ったのであろう。
それは意外に普遍的で所謂、民族の固有の文化や、文明圏の違いさえも超越しうる程に深い行為だったのではないか。

歴史家トインビーは、伊勢神宮をおとずれた時に、あらゆる宗教の底に存在する普遍性を私はここで感じる、と述べたが、クレーの絵を見ていると、あらゆる絵画の根底に存在するであろう描くという衝動の普遍性を私は感じるように思う。

パウル・クレーは、縄文土器を見た事があったのだろうか?
観た事があったとしても、なかったとしても、それは大した問題ではない。
本当の国際的な文化交流とは、単に外国のもの珍しいものに驚くのではないのは勿論、日本人の多くの様に外国文化の優越にひれ伏す事でも勿論ない。
また、いたずらに国粋的に独自の文化を外国に押し付けものであってもよいはずではない。
国際交流とは、お互いの文化や文明の根源を掘り下げる事により、その底辺に存在する共通の地下水脈的なもの、あるいは共通項を探し出し、そこから相互理解を進めるという事であろう。

またそれは、時に、ついには相互に理解できない要素を認識するという事でもあろう。

私が国際関係の研究をする時に常に心がけている事の一つは、そのようなことでもある。