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天安門事件20周年

投稿日:2009,06,04



 6月4日は北京における天安門事件20周年の日である。


天安門事件が起きた頃、私はラジオ文化放送の早朝番組「ワールド・ホットライン」のキャスターを毎週月曜日と火曜日の朝、務めていた。

天安門事件の直後に日本の大学院に留学しているシナ人の学生を匿名でゲストに呼んで話をインタビューした。
この時のことが強く印象に残っている。

 この時の学生Aさんは、30代後半の経済学専攻の大学院生であったが、文化大革命で下放され、大学での勉学が著しく遅れたことを嘆いていた。
 このAさんは、天安門広場で起きた民主化運動への暴力的弾圧に、勿論、怒りを隠せず、同時に自国と自らの将来に大きな不安を抱えていた。
今、そのAさんがどこで何をしているか、私は全く知らない。
Aさんとは、この早朝番組で一度、話をしただけの関係である。


 番組の中でAさんが言ったことで、とても印象的だったことは、日本企業が引き続きシナに進出して経済の開放路線を助けてほしいということであった。
政治的弾圧を嫌悪して日本企業がシナから引き上げれば、経済の開放改革は遅れて、政治的民主化の希望も全く消え去ってしまう。
外国企業がシナから撤退すれば、経済は完全な鎖国経済に逆戻りし、文化大革命当時のような経済状況が復活するのではないか、とAさんは恐れていた。

 私も彼と同様の心配を心に抱いていた。
 実際、天安門事件にもかかわらず、シナに居残り、すぐビジネスを再開した外国企業はシナ政府に大いに歓迎され、有利な条件で商売を行うことが出来た。
当時の私の心境としては、これらの日本企業や外国企業に好感をもっていた。
しかし、現在の時点から見れば、私の抱いていた希望や観測はあまりに甘かったと言わざるを得ないと思う。


 当時のブッシュ米大統領をはじめ、私を含む多くの外国人が考えていたのは、シナにおいて外国企業に刺激を受けた市場経済が発展していけば、やがて中産階級が生まれ、それらの人々が政治におけるデモクラシーを推進する勢力になってゆくであろう、という期待であった。

 過去20年の歴史は、我々が抱いたこの希望が完全に裏切られたことを実証している。

シナにおける経済発展は、あくまでも共産党一党独裁の管理下にあるものであって、経済が如何に発展してもそれは全く民主政治の発展に繋がらないことが証明されたのである。
繋がらないどころか、寧ろ、経済発展はデモクラシーを推進しない為の道具にすら成り果てている。

シナ共産党は人々のエネルギーを拝金主義的な経済発展に誘導し、人々に一切の政治的関心を抱かせないように社会を統制している。
このような事態においては、経済発展は民主政治の代替物であり、民主政治を発展させないための政治的心理的道具ですらある。


 そもそもシナ政府が鄧小平以来、主張しているところの「社会主義市場経済」とは一体なんであろうか?

 共産党の使う言語は、我々常識人の使う言語とは全くかけ離れているので、これを深く分析してみる必要がある。

「社会主義市場経済」における「社会主義」が意味するのは、福祉政策の充実ということではなく、シナ共産党があくまでも一党独裁の権力の独占を続けていくという意志の表明である。
これに続く「市場経済」とは、我々が先進国で知っているような自由な企業や自由な個人の作り出す自由な経済という意味では決してなく、共産党管理下における唯物論的な、そして、拝金主義的な経済発展ということである。

つまり、総括して言うならば、「社会主義市場経済」とは、共産党一党独裁下における拝金主義の蔓延ということに他ならない。
 

   もう少し詳しく言うならば、シナ共産党はシナ人の政治的自由を抑圧しつつ、その安価で豊富な労働力を外国企業に無制限に提供する。
その、安価な労働力は共産党管理下にあるので、決して政治的な叛乱を起こすことはない。
そこで、その安価で豊富な労働力を利用したい外国企業はシナに進出し、共産党幹部と癒着し、その利益を共有しながら経済活動を続けることが出来る。

 これらの進出企業は、シナ共産党幹部と密着する事により、膨大な企業利益を上げることが出来るのだ。
共産党が大衆を政治的にコントロールしているがゆえに、外国企業は有利なビジネスを続けることが出来るのであり、共産党幹部と進出企業は必然的に共犯者の関係になる。


   共産党管理下のシナにおいては、「市場経済」というようなものは実は存在していない。
そこにあるのは共産党幹部の管理の下における拝金主義の蔓延である。
広い意味の自由な個人と企業の創造性や法治主義を前提とした近代的な「市場経済」はシナには微塵も存在しない。
我々が普通思い浮かべるところの「市場経済」はシナには今日といえども存在していないのである。

 シナ以外の国においては開発独裁が経済発展を保障し、経済発展が中産階級を生み、中産階級が政治的民主化を要求し、開発独裁の克服に成功した、というプロセスが現実に作動している。

例えばフィリピンのマルコス政権は民主化され、チリのピノチェッと政権も民主化された。
韓国ですらある程度、このプロセスは機能した。
ラテンアメリカ諸国においては概ね開発独裁は、レーガン大統領とブッシュ・シニア大統領の時代に、民主的政権へと転化していった。

多くの国において開発独裁が必要とされたのは、共産主義の侵略に対抗し、脆弱な国家体制を守るためであった。
共産主義の脅威が減少し、やがてソ連共産主義そのものが滅亡することにより、多くの発展途上国においては民主化を行う余裕が生じてきたのである。
つまり、共産主義の侵略から国家を守るために独裁的政権を作る必要が無くなっていったのである。

しかし、このような独裁から民主化へのプロセスが全く起きていないのがシナである。
思えば皮肉なことに、この国の権力は共産党の手の中にある。
シナは既に核兵器を持ち、有人宇宙船を打ち上げることの出来る軍事大国である。
彼らが外国からの侵略を恐れる必要は全く無い。
その点はかつてのフィリピンや中南米で見られたような開発独裁の必要は全く無いのである。
シナ共産党は、外国企業の力を借りて獲得した経済力を悪用し、それによってこの20年間膨大な軍事力を建設することに成功してきた。
それは、全く自国の防衛の為のレベルを超えたものであり、アジアにおける、そして世界における覇権を目指すための超軍拡である。



今日のシナ共産党は全く一つの伝統的なシナの王朝である。
伝統的な王朝との唯一の違いは、皇帝が世襲制でないことだけである。
一種の共和制的独裁である。

伝統的王朝との共通点は、政権が剥き出しの軍事力と腐敗した官僚制によって大衆を統御している点である。
共産党王朝は一体、いつまで続くのであろうか?

いずれにせよ我々は、希望的観測を一切捨てて、シナという文明と国家の現実を直視しなければならない
シナにはシナ独特の政治力学が存在し、それらは他の如何なる文明圏の政治力学とも全く異質のものである。
他の文明圏なり国家の発展例をとってシナの歴史を予測することは全くのナンセンスである。

20年前にシナの動向に関して極めて甘い見通しを抱いていた私自身の反省である。